「俺たちも連れて行け」

「空が飛べなければ、私には酒を飲むしか楽しみがない。退屈でしようがないから、日本料理屋で敗戦のやけ酒を飲んでいる」

 と、鈴木さんは答えた。すると、張中将が、

「俺たちも連れて行け」

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 と言う。仕方なく、張中将とその副官の2人を連れて店に行くことになった。

 玄関に出迎えた女将に鈴木さんは、

「中国の偉いさんだ。どうせわかりっこないんだから、そのへんでカエルでも捕まえてきて食わせてやれ。なんなら、何千円でもふっかけていいぞ」

 と言った。

戦後の鈴木實さん ©︎神立尚紀

「ところが、日本間の座敷に通され、英語で語り合いながら飲んでいると、張中将の言葉のはしばしに、(まさ)(むね)とか(さわ)()(つる)など、日本の酒の名前が出てくる。どうやら、かなりの日本酒通らしい。おかしいぞ、と思い、『閣下は日本酒に詳しいようですが、どこで覚えられましたか』と聞いたら、張中将は表情も変えず、(りゅう)(ちょう)な日本語で『私は、かつて日本陸軍の航空士官学校に留学し、日本人の家で下宿をしていたことがある。だからよく知ってる』と。飛び上がらんばかりに驚きました。それまで、すべて英語か、通訳を介しての会話だったので、まさか日本語を解するとは思いもよらず、目の前で悪口や()()(ぞう)(ごん)を浴びせてたのが全部筒抜けだったんです。一本とられた! と思いましたね」

中国軍将官の“驚くべき正体”

 さらに話してみると、張中将は、昭和16(1941)年5月26日、鈴木さん率いる十二空零戦隊が中国・天水飛行場を急襲、(かい)(めつ)させたときの中国軍の基地指揮官であったことがわかった。張中将は当時、少将だったが、敗戦の責任をとらされて上校(大佐)に降格されたという。

「またお前に会うとはな」

 張中将はニヤリとすると、うまそうに酒を飲み干した。

次の記事に続く 「あいつは戦犯じゃ」子どもに石を投げられ、部下たちの犠牲は“犬死に”扱い…戦後の零戦パイロットを苦しめた“理不尽すぎる仕打ち”とは