有限性のなかで人生設計が始まる

 そこには「死の自覚」が深くかかわっていると思います。

 人は幼少期から成長するいずれかの段階で、身近な人やつながりのある人の死を経験するものです。そこで人間は死する存在だということを否が応でも考えざるを得ません。子ども心に、自分の命は有限なものだということを悟るわけです。その有限性のなかで、自分の人生設計が始まっていく。

 人は自分の将来の姿を誰かのなかに見ます。たとえば「大谷翔平さんのようになりたい」とか憧れる人物像があって、そこに未来の自分の姿を重ね合わせて生きる目標にすることができる。そこに向かって努力をすることが、人間の子どもはできるようになる。

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 ひるがえって言えば、それは死というものが最終的にあるからです。自分の人生でどうやって光り輝くかを、あるとき見定めるようになる。そしてその子の目標を周囲が知って背中を押すのが教育です。

山極寿一氏

 チンパンジーもゴリラの子どもも、目標を立てて努力することはありません。

 憧れの対象に向かって、学び、努力をするのは人間に固有の行動です。

 言葉を獲得した人間は、「因果関係」で世界をとらえることができます。因果関係は、時間軸に沿って、物事が起こった現象を把握したり、その原因を探ったり、これから起こることを推論する力です。

 ゴリラもチンパンジーも過去に起こったことを憶えていますが、それは何枚もの絵のように積み重なっているだけで、そのあいだの時間的なつながりや因果は意識していないと考えられます。先にタイタスと26年ぶりに再会したときの話を書きましたが、私と一緒にいたころの思い出が一枚の絵のようにして残っていて、そのときの気持ちになれたのだと思います。

 我々人は言葉を通じて、時間認識のなかに因果関係を求めて、過去と現在と未来をつなぎ、だからこそなぜ(why)、どのようにして(how)という思考も可能になった。

 人生の時間軸の最終ゴールに死がある。どんな人間も等しく死ぬ――これを悟ってから、有限な人生をどう生きるかが課題となります。

 限られた時間軸のなかで死をとらえるからこそ、人は生きる意味を考えます。仮に人が死なない身体だとしたら、なんどでも無限にやり直せるし、いつまでにこれこれを達成しなければならないという必然は何もありません。時間軸のなかで、ゴールに向かって流れとして意味のある物語を作る必要はないわけです。

 つまり、人間は「歴史的存在」であるために、死をゴールにすえた有限の時間のなかでみずからの生に意味を求めて、命を燃やすのです。