新著『老いの思考法』が話題を呼ぶ霊長類学者・山極寿一さんと、『サル化する世界』などの名著で知られる思想家・内田樹さんの初対談が実現。人類の進化から、“サル化する”現代社会での老い方まで縦横無尽に語り合った。
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共同体と家族は編成原理がまったく違う
内田 山極さんの新著を読んで共感する部分がたいへん多かったのですが、老いの本質を考えるうえでは「共同体において老人がどんなポジションを持つか、何をするか」という問題が大きいと感じました。
とくに興味深かったのが、共同体と家族は編成原理がまったく違うという指摘で、まずはそのあたりからお話しいただけますか。
山極 長年ゴリラなどの類人猿やサルを研究しながら、人間の過去を考えてきましたが、“進化の隣人”ゴリラは家族的な集団だけを持っていて、片やチンパンジーは共同体的な集団しか持っていません。つまり、動物の世界において、家族と共同体の2つは両立させることができないんです。
家族は「見返りを求めずに」互いに奉仕し合うもので、親が子どもに何かしてあげたからといって見返りは求めませんよね。一方、チンパンジーは、メスだけが自分の子どもを育てます。乱交社会で父親は誰か分からない子なので、オスはほとんど子育てをしません。ただし、複数のオスがメスたちと様々な連携をし、「何かしてもらったら御返しをする」という「互酬性」が共同体の編成原理なんですね。
内田 つまり、見返りを期待しない家族と、見返りを期待する共同体は、どこかで相反してしまう、と。
「共感力」をはぐくんだ人類
山極 そうです。この両立が難しいものを、人間だけが同時に成立できたのは「共感力」があったからだと僕は考えています。
人間の祖先が熱帯雨林からサバンナに出て行ったとき、肉食動物に襲われないよう弱い者たちの安全を確保しつつ、屈強な者が狩りに出て持ち帰った獲物を、みんなで安全な場所で分け合って食べる。この食物の分配行動が、家族と共同体を両立させ、サバンナで生き残ることを可能にしました。
これは人間に埋め込まれた最も古い文化で、食べ物をケチる人はどんな文化圏でも「吝嗇家」と言われて馬鹿にされるでしょう? 他者への共感力で血縁関係のない人にも食べ物を分かち合う、仲間のために尽くす――それによってサルや類人猿にはない社会性が人間には芽生えた。そこで高齢者は、仲裁したり融和に導くような知恵を発揮したりして、集団が円滑に成り立つように寄与してきたんですね。
内田 いま山極さんの説明を聞いていて気づいたのですが、山極さんは分配について語る際に経済の用語を使われないんですね。ふつうはこういう営みについては「贈与」、「交換」、あるいは「反対給付義務」といった言葉で説明するんですけれど、そういう言葉は出てきませんね。