仲裁する人が身銭を切るという知恵

内田 川島武宜の『日本人の法意識』という名著がありますが、その中に仲裁の例として、歌舞伎の「三人吉三廓初買」の話が出てきます。お嬢吉三という悪者がいて、夜鷹から百両を奪う。それを見てたお坊吉三という新たな悪者が出てきて「俺によこせ」と言って、二人が殺し合いになりそうになったところで、三人目の和尚吉三が出てきて、百両を二つ割って、五十両ずつ二人に分ける。「だが、五十両じゃ不満だろうから、俺の両手を切って、これで納めてくれ」と提案する。その和尚吉三の男気に感じて、三人は義兄弟の契りを結ぶ…という話なんですけど、これは日本的な仲裁方法のひとつの究極の形だと思います。

 つまり、仲裁者はただ「合理的な落としどころ」を提案するだけではなくて、双方の不満を収めるために、自分も犠牲を払う。この戦いを止めるためには、自分を犠牲にするという決断を下せる人間だけが仲裁を果たし、かつ対立した人たちを含めて集団的な結束を打ち固める。

山極 ケンカを仲裁する人が身銭を切る必要があるんですよね。ちなみにゴリラの仲裁は、双方が「負けない」形でメンツを保たせます。そして仲裁者は、ケンカをする連中よりもよっぽど弱い奴という特徴もあります。大きなオスのシルバーバック同士が戦おうとしていたら、すーっとメスが入ってきて止める。それでおさまるんですよ。

ADVERTISEMENT

 人間の常識では仲裁者は双方より強くなきゃいけないと思っているけど、本来はそうでない。「互いが負けない」というのが仲裁の本質だから。友人の探検家・関野吉晴さんによると、南米のアチェとかの狩猟採集民は、妻を盗まれた男が争いになったときに、儀礼的な叩き合いをして勝ち負けを決めます。仲裁者は強いやつとかではなく、双方のメンツを保たせるための喧嘩両成敗をする。

内田 遺恨を残さないことがとにかく大事なんですね。ハワイでもそうらしいですね。前日に殴り合った相手と翌日道で会うと、「ちょっと遺恨消してくるわ」と近づいて握手して帰ってくる習慣があるという話を聞いたことがあります。

山極 やっぱり「根にもつ」って人間として恥ずかしいこと。人間に近い霊長類のケンカも、観察しているとだいたい和解のあと以前よりも良い状態になります。遺恨を消し去るさまざまな工夫が共同体のなかで脈々と行われてきたのが、今や国家間の争いをみていてもすっかり無くなってしまったのが現代社会の大きな問題だと思うんですね。

その2へ続く

『老いの思考法』
文庫『サル化する世界』

老いの思考法

山極 寿一

文藝春秋

2025年3月19日 発売

サル化する世界 (文春文庫 う 19-27)

内田 樹

文藝春秋

2023年2月7日 発売

次の記事に続く みなが“自分のパイ”を奪い合うのに必死な社会でどう生きるか? 隠居制度という日本の知恵に学ぶ