ゴリラ研究の第一人者・山極寿一さんと、武道家で思想家の内田樹さんによる白熱対談。高齢化社会における人間の在り方について、両氏の専門分野からの知見を交えながら語り合う。

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山極寿一氏(左)、内田樹氏(右)

人間の体はちくわみたいもの!?

内田 ちょっと話は変わるんですが、『老いの思考法』を読んで「まさにそう!」と手を打ったのが、「消化器官は体の外部」という指摘でした。たしか養老孟司先生から「人間はちくわみたいなものだ」という話を伺ったことがありました。口腔から肛門まで通っているのが「ちくわの穴」で、そこを通る養分を吸収するのが「ちくわの身」という話です。この身体イメージ、僕にはとても腑に落ちるものでした。たしかに消化器って外部ですよね。

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山極 そうです。だって、腸にはバクテリアが棲んでいて共生しているのだから。ある意味我々はバクテリアを食べさせていて、バクテリアが消化したものを人は取り込んでいるだけとも言えます。

内田 ゴリラのドラミング行動、あれは自分の身体を楽器として使うということですけれど、人間は自分の身体を外形化することで最初の楽器を作ったのではないかと僕は思うんです。もし人間が自分の身体を「ちくわ」みたいな円筒形のものだとイメージしていたのだとしたら、それを外形化、道具化したら「太鼓」になるはずです。

 たしかに自分の身体を打楽器だと感じることがあるんです。僕は江戸時代の禊教の流れを汲む一九会という修養団体の「禊祓い」の修行に時々参加してるんですが、そこでは「トホカミエミタメ」という祝詞を唱えます。これを延々と朝から晩まで3日間唱え続けるという荒行がありますが、この祝詞の唱え方が、人間の身体を打楽器に見立てたもののように僕には思えるんです。声帯で声を出すのではなくて、全身を打楽器にして、呼気とともに祝詞を唱えて、あわせて自分の中にある邪気を全部祓ってて、心身を透明にする。実際に、呼気が弱いと、先輩たちが背中を思い切りひっぱたくんです。背中をたたかれて呼気とともに祝詞を唱えると自分がほんとうに打楽器になったような気になる。

内田樹氏

 人類が最初に作った楽器はたぶん太鼓と笛だったんじゃないかと思いますけれど、これはどちらも「円筒形のものの中を強い呼気が通り抜ける」というイメージを外形化したものですよね。たぶん太古の人間たちも、ゴリラのように自分の体を円筒形だと思って叩いて遊んでいるうちに、円筒形のものを叩けば、音が出るのではないかと気がついた。円筒形のものを叩いてみたら大きな音が出た。細い円筒形のものに穴をあけて呼気を強く吹き込んだら甲高い音が出た。そうやって太鼓と笛ができた。そういうことじゃないかという気がするんです。

ゴリラのドラミングは儀礼化された行為

山極 身体を打楽器にするって、ゴリラのドラミングが分かりやすいですが、実はあれは、九つの動作からなる非常に儀式化された行為です。

 まず横に揺れて、ウーウッフフフフと息を吸い込む。すると、胸の共鳴袋に息がたまって胸が張りまるで太鼓のようになります。それから立ち上がって胸をタタタタって叩いたあと、走り出す。まわりの草や枝を引きちぎって空中にボーンと放り投げて、横走りに走って、最後に地面をバターンって叩く。こういう一連の儀式があるんです。

 チンパンジーも胸は叩きませんが、足でリズムをパカパカパカパカってとり、板根(板のような根を持つ木)を叩いたりします。要はパフォーマンスとして、ある程度、目立つ定式的な行為が、ゴリラやチンパンジーにはあって、人間の祖先にもそれはあったと思います。