内田 今の政治家は、さまざまな社会矛盾はすべて経済成長さえすれば解決すると思い込んでいる。それはたしかに一理あって、高度成長期はパイがどんどん大きくなっていたので、自分の取り分が増える限り、パイの分配方法についてあれこれ文句を言うやつはいなかった。でも、パイが縮みだしたら、一斉に「誰かがオレの取り分を横取りしている」と言い出した。分配の仕方がおかしい、生産性や社会的有用性を基準に分配しろ、フリーライダーを叩き出せ…という卑しい話ばかりするようになってきた。この陰惨な状態をなんとかするためには、もう一度パイを大きくするしかない。そう信じている人が日本の過半を占めている。でも、もう二度とパイが大きくなることはないんです。だったら、「仲裁人」が出てきて、誰もが同じくらい不満な適切な落としどころを提示するしかない。

 民主主義ってもともと「みんなが同じくらい不満足な解」にたどり着くために熟議するというシステムなんです。「みんなが同じくらいに不満」な資源分配が、パイが縮んでいる局面で共同体の内部で対立が起きないようにするためにはたぶん最も有効な方法なんです。

隠居制度という日本の知恵

山極 そこで振り返ってみたいのは、江戸時代の知恵なんです。ヨーロッパの列強が領土を広げて各地を植民地にしていた時代に、日本の江戸時代は265年間「節約」型で領土を拡大しようとはせず、中期以降3000万人ほどの人口を養っていた。身の程をわきまえる社会性や精神性が育ったし、それが「達老」という老人の域なんですね。

ADVERTISEMENT

山極寿一氏

内田 本にも書かれていましたけれど、それ面白い考え方ですね。

山極 「達老」の初出は11世紀の北宋時代ですが、「ものごとに通じ、俗事を自在に超えうる力をえた老人」をさす言葉です。この精神性を体現したのがまさに江戸時代の隠居制度でした。

 隠居があるのは日本くらいのものですが、まだ社会で活躍できる年齢であるにもかかわらず、若い世代に自分の権利を譲り渡して、あとは趣味や教養に生きる。ご隠居さんは社会のなかで別格の存在で、たとえばお茶の世界とか、お祭り事とか共同体のまとまりを維持するうえで重要な役割を担っていたんですね。それは節約型の社会だからこそ実現できた優れた知恵だと思います。

 永遠にパイを増やすことを求めて、高齢者たちが自分たちのパイを手放さなければ、やっぱりギスギスした窮屈な社会になってしまいますから。

内田 我々はもう老人なわけですけど、高齢者の仕事って物を持つことじゃないと思うんです。権力も財貨も僕たちには不要なんです。それより若い人たちに進むべき道を示すことが老人の仕事だと僕は思っています。

 僕が年長者として武道で示しているのは、「天下無敵」という目標です。これは誰も到達できない無限消失点のような目標ですが、それでも武道家が進むべき道はそれしかない。そういうふうに行く先を示すことが老人に託されている大きな仕事のようにも思います。