僕は十代の終わり頃にレヴィ=ストロースの構造人類学に出会って、「女の交換」「言葉の交換」「財貨の交換」の3つが人間の人間性を基礎づけるという知見に触れて衝撃を受けたことがありました。人間の感情は、多くが社会制度によって規定されるものだという構造主義の考え方はまさに目からウロコでした。
山極さんのご説明だと、交換を起動したのは、人間の中に「共感力」という資質があるためだということになります。これも目からウロコのご指摘でした。山極さんは、もともと我々人間は原初においてほとんど戦争をしないで平和に暮らしていた狩猟採集民であって、そのマインドに立ち返るべきだという性善説をとられていますよね。
給料は“みんなで使う”ピグミー族
山極 僕はずっと人間以前の世界から人間を捉えようとしてきたから、言葉が成立してから生まれた経済の用語を自ずと使わないのかもしれません(笑)。人類の進化の歴史は約700万年ありますが、言語が誕生したのは7万~10万年前で、農耕牧畜が始まったのは約1万年前です。
つまり、進化史の99%以上において人は食糧生産をせず、自然の恵みに従って生きていた。しかし、農耕牧畜が始まってから、土地と所有をめぐって人は争うようになりました。土地に価値ができ、所有によって人間の価値が決まるようになった世界で、ほとんどの暴力と戦争はこの二つに起因して生じています。
でも、狩猟採集民が戦争をしたという歴史上の事実はほとんどない。僕はフィールドワークでピグミーの人たちと生活して驚いたことがあります。例えば、私たちは能力ややった仕事に応じて給料を払うのが当たり前ですが、ピグミーは誰かが仕事を休むと代わりの人が来るので、給料日になって働いた日数に応じて差をつけて払おうとすると、みんな首を横に振るんです。「そんなんじゃだめだ」「みんな平等に払え」と。
彼らの考えでは、休んだのは事情があったからで、でも私の仕事に協力する心を持っていたから代わりの人を送った。しかも、彼らの給料は自分だけで使うんじゃなくて、みんなで使うもの。だから、差をつけて給料を払うことを許さなかったんです。
内田 それを聞いて村上龍のエッセイを思い出しました。彼がダカール・ラリーの取材に行ったときのエピソードなんですが、砂漠をひたすら走るこの過酷なモータースポーツ競技で、同行のテレビマンが自分のミネラルウォーターにマジックで名前を書いた。すると現地のクルーが「こんなやつとは働けない」と言い出した。砂漠で水は貴重だという前提から、日本人のこのスタッフは「貴重なものは私有する」という判断をし、砂漠で暮らす人たちは、「貴重なものは絶対に私有しない」と判断した。砂漠の共同体原理は資本主義とは違うということなんですね。
