一期一会という覚悟を持って生きる
死は、いついかなる形で訪れるか、誰にもわかりません。長期スパンで人生設計を立てても、突然交通事故にあったり、病気になって死ぬことだってあるでしょう。
現代社会に生きていると、あたかも人は死なないものと錯覚してしまう節があります。死は身近で地続きなものというよりは社会のなかで隠され、高度に発達した医療がかなりの救命・延命を可能にしているからです。
数年前に、『LIFESPAN 老いなき世界』(デビッド・A・シンクレア著)という本が出ました。ハーバード大学医学部で遺伝学の研究をしてきた著者は「老化は病気である」と宣言し、遺伝子の働きがおかしくなるのが老化であり、ゲノム編集技術で直せば老化は防げ、寿命も延ばせると訴えたその報告は、大反響を呼びました。
しかし、いくら医学が進歩しようと、有性生殖の個体はいつか必ず死にます。
かつての狩猟採集民、いまでもそうした暮らしをする人々は、人生がそれほど長いものであるとみなしておらず、死はいずれ、あるいはふいにやってくるものという感覚をもって生きています。それが本来のあり方だと思うのです。
日本には「一期一会」という言葉があります。もともとは千利休が茶道の心得として語ったこの言葉は、なにごとも一生に一度かぎりの機会であると思って誠意を尽くして臨む大切さを説いています。
死は避けられないものです。老年期になったからといって、過度に死を恐れたり、自分がこの世から消えてなくなることを日々鬱々と考えたって仕方がありません。
人生は有限の時間だからこそ、一期一会という覚悟を持って生きる――。
そんな思考の構えのなかにこそ、人間の生きる意味は横溢しているのではないでしょうか。
