また、2月3日には、「J・D・ヴァンスは間違っている。イエスは他者に対する我々の愛を格付けすることを求めてはいない」という投稿をしているが、これもまた、「ナショナル・カトリック・レポーター」というカトリック系の雑誌に掲載された記事のタイトルであり、その記事のリンクも貼られていた。

 これらの投稿は、教皇フランシスコとレオ十四世の思想の連続性について、そしてキリスト教の教えとはどのようなものであるのかをつかんでいただくのに最適なものだと思われるので、この投稿に関する分析から始めていきたい。

J・D・ ヴァンスの発言――移民排斥はカトリック的に正当化されるのか?

 周知のように、第二次トランプ政権は極めて強硬な移民政策を掲げている。南部国境からの不法移民の新規流入を厳格に抑制するとともに、数百万人規模の不法移民の強制送還の準備を進めている。また、移民を悪者扱いするような様々な言説を大統領自身がしばしば為している。

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 このような状況の中で、副大統領のヴァンスは、2025年1月30日に、フォックス・ニュースのインタビューにおいて、「キリスト教的な考え方」と前置きしたうえで、「まず家族を愛し、次に隣人を愛し、コミュニティを愛し、自らの国の同胞(fellow citizens)を愛し、そしてその後に世界の残りの部分に焦点を当てて優先順位をつけることができる」と述べた。まずは自らにとって身近な同胞を大切にすることこそがキリスト教の教えなのであって、国境の外からの移民のような遠い人々は、よほど余裕があった場合に対応すればよい事柄にほかならないというわけである。 

 様々な批判がSNS上などで行き交っていることを目にしたヴァンスは、自らのXのアカウントにおいて、「まずはordo amoris(オルド アモーリス)をググれ(Just google “ordo amoris”)」と述べた。自らの主張は単なる思いつきなどではなく、「愛の秩序(ordo amoris)」というキリスト教の伝統的な神学的概念に依拠したものであると主張したのである。

 この概念は、キリスト教神学の基本的な在り方を定めたアウグスティヌスに由来し、カトリック最大の神学者・哲学者であるトマス・アクィナスによって体系化されたものである。ヴァンスは、2019年に洗礼を受けてカトリックになっており、自らがその一員として推し進めている移民政策がカトリックの伝統的な教えとも合致したものであると述べたというのが、一連の出来事の始まりであった。