「すごいなぁ。よく生きていたなぁ」
スゲノ沢ではヘリで救出できないため、200m離れた尾根まで運び上げることになった。消防団が後部胴体のドアを外して担架替わりにした。堀川さんらは山仕事をしているので鉈で小喬木を切り開いて尾根まで引き上げた。4人は急斜面の尾根に寝かされたままであった。自衛隊の救出ヘリが2時間以上も来ないから、堀川さんが隊長らしき人に「いつ、連れて行くんだ」と文句をいい、消防団は「何をやっているんだ」と怒りに近い声で自衛官に罵声を浴びせていた。救援派遣の日赤の看護師さんも「この人たちが亡くなったら、あんたたちのせいだからね」と怖い顔をしていっていた。
13時20分からようやくヘリへの収容が始まった。川上慶子さん、吉崎博子さん、美紀子ちゃん、落合由美さんの順だった。もちろん、その時は名前も分からない。
堀川さんら林業労働者の人たちは、昨夜からの県警機動隊を案内していたこともあり、「とにかく、機動隊は足が遅くて…。山に登ったことがないんだよなぁ。案内していても時間ばかりかかって、何やってんだという感じだった。それにわれわれのいうことをいっさい聞かない。われわれの助言を聞いていたら、何人助かったかどうか分からんけど、もっと早く墜落現場にたどりついていた」と口を揃えていっている。
生存者が救出される場面は、私は堀川さん宅のテレビ中継で見ていた。中継はフジテレビ一社だった。2機のヘリで中継していたことをあとで知った。山が深く、われわれのハンディートーキーの携帯無線機は役に立たず、お荷物になってしまった。前日、東京を出発する時に、編集局次長から「生存者がいるかもしれないから落とすなよ(特オチするな、の意)」といわれていた。私は全員死亡だと思っていたから、「はい、はい」と気のない返事をしていた。テレビ中継を見ていて「これは大変なことになった」と唸った。
これからの取材を練り直す必要を感じた。が、同時に、わが記者は現場に到着して取材ができているのか、と不安になってきた。テレビには習志野空挺団の自衛官(作間優一二曹)に抱えられてヘリに収容される川上慶子さんの姿が中継されていた。作間二曹が慶子さんを抱き抱えながら「大丈夫」とか「助かったよ」と声を出して激励している様子が窺われた。
上野村の対策本部に行っている記者から、生存者が上野村の総合グラウンドにヘリで搬送されてくるとの電話連絡が入った。残りの写真部記者と私が対策本部に行く。神流川沿いの崖につくられた一車線の狭い道は機動隊の輸送バスが駐車している状況だったので、先に対策本部に行った記者は堀川さん宅のバイクを借り、20分ほどで到着していた。その事情を聞いていたので、こちらは時間の余裕をもって対策本部に向かった。約1時間を要した。
2時間ほど待っていると、「生存者は8人」という情報が流れた。「すごいなぁ。よく生きていたなぁ」と思ったが、グラウンドでは確かめようがない。
