O美の体調に起きた異変
こうした環境では、O美が自分自身の思いを言葉にしたり、感情と向き合ったりする機会は余計になくなる。ロボットのように与えられたことをこなしているだけなので、中味が空っぽのまま成長していく。この頃は給食中や休み時間中も勉強をしているような状態で、友達と呼べる存在は一人もいなかった。
小学6年の秋、両親が別居することになった。その直後、O美の体調に異変が起きた。学芸会の前日、突如として体が動かなくなり、学校へ行けなくなったのだ。家から出て何歩か歩くと、腰が抜けたようにすわり込んでしまう。母親は受験が迫っていたことから、学校へ行く代わりに家庭教師の授業を増やした。
2月、なんとか受験に合格したものの、O美の体調は回復しなかった。3月の小学校の卒業式に出席することができず、4月になって合格した私立中学の新学期がはじまっても登校することができない。病院やカウンセリングに通ったものの、「精神的な問題」と言われるだけで、改善は見られなかった。
一学期が終了した時、両親は学校側と相談して中退し、公立中学へ転校することにした。世間体を慮ってか、O美は学区外の中学へ入れられたが、そこへも登校することができず、フリースクールに通うことになった。
不登校になった今も、母親が敷いたレールの上を走っている
O美は言う。
「なんで学校へ行けなくなったのかわからなかったです。(きっかけは)受験? でも受験終わっても行けないし……。勉強は別に嫌いじゃないです。学校も。だから、よくわかんないです。お母さんからは『受験や入学金にたくさんのお金をかけたのに全部ムダにした』って怒られました。今はフリースクールへ行きながら、もう一度勉強し直して高校でいい学校に入りなさいって言われているので、そうすることにしています」
母親から過剰な教育と罵声を浴びせられたことによる心理的な影響は大きいだろう。ただそれだけでなく、父親の不干渉や浮気だったり、塾の学力主義だったり、兄を賞賛する周囲の声だったり、様々なものが彼女の心を蝕んでいたはずだ。その中で彼女は自分を確立し、言葉によって物事を打開していく力をつけられず、不登校になった今も、母親が敷いたレールの上を走っているのだ。
現在、彼女はフリースクールに来る以外の時間は、週5日でつけられている家庭教師の指導を受けながら、県内随一の名門高校への進学に向けて受験勉強をしているそうだ。もっともその高校への受験は、母親が決めたものなのだけれど。
