少年犯罪から虐待家庭、不登校、引きこもりまで、現代の子供たちが直面する様々な問題を取材してきた石井光太氏による、教育問題の最深部に迫った『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文春文庫)の一部を抜粋して紹介。いま、子供たちの〈言葉と思考力〉に何が起こっているのか。(全2回の1回目/後編に続く)
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どのように子供たちは言葉を失い、不登校になり、フリースクールに来ているのか。そのプロセスを示したい(子供のプライバシーを守るため、別のフリースクールに通う子供の事例を示す)。
O美(中学2年) 教育虐待
父親が理科学系の研究者の家庭で、O美は育った。父親は一切子育てには関与せずに仕事に明け暮れ、専業主婦の母親は東京の名門女子高を卒業したにもかかわらず、家庭の事情で大学へ進学できなかったことからゆがんだエリート意識を抱えていた。
家で主導権を持っていたのは母親で、非常に教育熱心だった。学習塾はもちろん、パソコン教室、水泳教室、ピアノ教室、英会話教室、ダンス教室……一日に二つの習い事をこなすのはザラで、土日も子供向けのカルチャーセンターのようなところへつれて行かれた。母親は負けず嫌いで、他の子より劣っていると、容赦なくそれを指摘して3時間も4時間も叱りつけた。それゆえ彼女は心を無にしてひたすら母親の言いなりになっていた。
O美には6歳上の兄がおり、優秀なことで有名だった。文武両道で何でもでき、母親の期待に応えて名門と呼ばれる中高一貫校へ進んだ。そのこともあって、近隣住民や親戚からは「優秀な一家」と見なされていたようだ。母親はO美をその兄と比べて「お兄ちゃんを見習いなさい」「お兄ちゃんにできて、なんであなたにできないの」と口癖のように言った。彼女は劣等感を膨らませ、毎日こう思っていたそうだ。
―自分はダメな人間なんだ。
母親の言いつけを守ることしかしてこなかった彼女には、その後も命じられたことに従うことしかできなかった。
小学校5年生からは、本格的な中学受験への準備がはじまった。塾を二つ掛け持ちし、家庭教師をつけて、夜遅くまで机に向かった。この頃、父親が浮気をしていたこともあり、母親はそのストレスを晴らすように余計にO美に厳しく当たった。良い点数を取って当たり前、そうでなければ「あんたなんていらない」「努力する姿勢さえ見えない」「あんたは家の恥だ。出ていけ」と叱責された。
