戦後80年の今年、さまざまな形で昭和の戦争を振り返る企画が目白押しです。そのなかで、おっそう来たかと歴史ファンの注目を集めているのが、映画『雪風 YUKIKAZE』。雪風とは、「奇跡の駆逐艦」として知る人ぞ知る存在でした。太平洋戦争で活躍した甲型駆逐艦38隻のなかで、たった一隻、終戦まで生き残った艦だったのです。

 昭和15年1月に竣工、真珠湾攻撃の4日後、昭和16年12月12日にフィリピンのレガスピー急襲作戦で初陣を飾ります。ミッドウェー、ガダルカナル、ソロモン、マリアナと戦い続け、昭和20年4月、戦艦大和とともに、沖縄特攻作戦にも参加しました。さらに、戦後は、復員輸送船として、1万人を超える人たちを日本に帰還させたのです。

 これから紹介するのは、戦後80年を迎え特別に復刻した『太平洋戦争 日本軍艦戦記』(文藝春秋)に収録された座談会「栄光の駆逐艦・雪風 四人の勇猛艦長」の冒頭の部分です。本書の元版は、昭和45年刊行。編集長は後に「昭和の語り部」として知られる半藤一利でした。

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太平洋戦争 日本軍艦戦記』(文藝春秋)

 参加者は、

・飛田健二郎氏(当時、中佐。艦長在任:昭和16年7月25日-17年6月23日)
・菅間良吉氏(中佐。昭和17年6月23日ー18年12月10日)
・寺内正道氏(少佐~中佐。昭和18年12月10日ー昭和20年5月10日)
・古要桂次(中佐。昭和20年5月10日ー11月20日)

 大きな海戦でいうと、ミッドウェー作戦は飛田艦長、ガダルカナル撤収作戦は菅間艦長、マリアナ海戦、レイテ沖海戦、沖縄特攻作戦は寺内艦長、古要艦長の時代に終戦を迎えています。

 映画では、主人公の雪風艦長・寺澤一利を竹野内豊が演じるようです。この艦長は実在しませんが、本記事に登場する歴代艦長たちの会話を読み、彼らのキャラクターがいかに映画に生かされているのか、と思いを馳せることもできるでしょう。

◆ ◆ ◆

解体された雪風

飛田 なつかしい顔が集まったな。

寺内 とにかく、まずいちばん情けない知らせがあるんだ、雪風がスクラップになっちゃったらしいぞ。

古要 私もその情報は開きましたよ、確実な情報ではないけど、雪風がとうとう台湾から返還される希望はまったくなくなったという話が、それとなく入ってきました。

飛田 スクラップになったっていったって錨(いかり)ぐらい残っておるんじゃろ。

寺内 とんでもない。なんでも、今年の五月ごろの台風で座礁したかして、さっそく台湾政府では鉄鋼会社へ払い下げちゃった。それでキールンあたりの会社で解体されてネジ一つ残ってない、というわけなんだ。どうも確かじゃないが、だいたい確からしいぞ(笑)。

飛田 雪風の返還運動の連中は、それで何をしちょるのかな?

寺内 何をしちょるかって、錨どころか、ポルト一つ残ってないのだから、どうしようもあんめいよ。

飛田 返還運動を中央の連中は、本気になってやったのかな。

寺内 下の連中はやっているんだよ。だがこれは気持だけの問題で、実際に旗を振ったのは国会議員さ。

古要 財界でもお歴々が名をつらねたのでこれは本当に、雪が日本に違されると思っていたのだがね。

寺内 名前だけなら現役のおえらがたがずらりとならんでおったが、なあに、その後選挙が終ると、そのまま話だけで立ち消えになる。

飛田 台風は待っててくれんからな。

菅間 それで、錨一つなくなったというのは、なんとも悲しい話ですな。マストぐらいでも返してくれればよかったのに。

飛田 老人の感傷かも知れんが、あれくらい武運めでたい艦もなかったのだから、民族の遺産としてマストぐらい残しておきたかったな。

寺内 とにかくネジ一つねえんだから、仕方あんめいよ。

(*本書が刊行された翌昭和46年、台湾政府から錨と舵輪が返還された。舵輪は広島県江田島の旧海軍兵学校・教育参考館、錨は同館の庭に展示されている)