世界一の幸運の艦
古要 雪風が非常に幸運な軍艦だというけれど、なにも一つ一つの行動を理論的にすじ道たてて、こうやったからうまくいったというものではないんだね。人間の意思の働かないというか、何ものかによって、あらゆる海戦に参加して生き残った……。
寺内 それを運というんだ。(笑)
古要 軍艦も人間と同じことで、ツイているやつとツイていないやつとがある。
飛田 でも、ツキを雪風にもたらしたのもあなたがたみたいなシッカリした艦長がおったからじゃろが・・・・・・。最初の、わしが艦長のころは(昭和十七年六月まで)、勝ち戦さで幸運もへったくれもないんだ。どの艦もみんなツイていた。勝っているときは沈まんものだ。
寺内 そりゃあたりまえだよ。(笑)
飛田 あなた自身は、いままで、おれはツイていると思ったことある?
寺内 いいや、ちっとも考えなかった。
飛田 雪風のいくところには何も起らん。そして「さあ、行ってこい」といって護衛や海戦をやらされる。何も起らん。またやらされる。何も起らん。そうしているうちに、おれはツイてるぞと思った。
寺内 そりゃ、まあ、ほかの艦をみると、つぎつぎと沈んじまってるのに、ガダルカナルだろうがニューギニアだろうが、どこへいこうと、一緒にいった艦がやられているのにまたラバウルに帰ってきて何がなんだってんだといって大いに飲んでね(笑)。それがつづくんだものな。
菅間 雪風が、世界一の幸運の艦になることができたのは、艦の運がいいのと同時に、艦には家風と同じような艦風というものがあるが、その艦風がよかった。初代の艦長(脇田喜一郎中佐)から飛田艦長あたりの努力のたまものだと思うな。
飛田 わたしは駆逐艦・海風から雪風に移ったのだが、これが十六年八月一日でしたな。(雪風竣工は十五年一月)。なにしろ海風は手塩にかけて育てたんだからびしゃっとする。連合艦隊最後のボートレースで、決勝に残ったのは第四水雷戦隊ばかりで、一着は海風の機関科、三着五着もうちというくらい。まあ、そのくらい海風はよくできとった。そうして雪風にきたら、これはいかんということを感じたな。とくに機関科にアカン筋があっとったようだな。それを世界一の艦にしたのは菅間艦長じゃよ。



