菅間 いやいや、私より飛田さんですな。雪風にはすでにしていい艦風があった。一言でいうなら、なごやか、というか。上から下まで一緒になって酒をのむ。ワイワイいってね。

寺内 菅間さんは苦労したらしいね。

飛田 要するに艦長は自分を殺さないかんと思いますな。そして、どんなヤツでも一緒に抱いていくような気持にならんといかんのじゃないかしら。

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古要 その点、菅間さんは人情艦長として有名でしたな。

菅間 それに雪風の場合は先任将校がよかった。乗組員約二百五十名の上から下までピリッとしていたのは、先任将校がよくやってくれたからと思いますね。

飛田 艦長としては、たとえば「面舵(おもかじ)ッ」といったときには、艦がビュッと面舵をとる。「後進ッ」といったらビュッとかかる。これがいちばんなんだが、これはまず艦長に信頼がないといかんだろう。

寺内 ふだんの出入港のときが大事なんだな。どこの港へ入ろうと、ぐるっと回れ右をして後進に入ってキュッといくでしょう。それが、隣の艦がまだもたもたして、岸から引っぱったりしている。こっちはすぐつないで、「解散ッ、上陸用意ッ」とやる。兵隊さんの意気ごみが違いますよ。

古要 それは違うね。艦隊演習かなんかで、何十隻も港へらどってくる、最初に猫をいれちゃうとか、早くブイにつないじゃったら、兵隊さんは「うちの艦長はなかなかやるぞ」ってね。

 

飛田 錨をいれて「敬礼ッ」といったらすぐ上陸用意、そして上陸ッ。ほかのやつはもたもたしているのに、さっさと陸に上げちゃったら、以後ビシャッとしたのだね(笑)。それが雪風を強くした。

寺内 なかには堅苦しい艦長がいてね、司令駆逐艦が上陸しないからといって、待っている。そういうやつの艦は、みんな沈んじゃった。(笑)

飛田 「機械よろし。舵よろし」と艦長がいうのを、底のほうの機関科の連中は待っておるのだからね。それには、しかし、操艦によっぽど自信がなくちゃ……。

寺内 わしは、操艦ちゅうか、自信があったんだな。若いころ呉の防備隊におって敷設艦で、豊後水道の潮の強いところでずいぶん苦労したからね。それから掃海艇の艇長をやって、そのつぎにくさったような駆逐艦。操艦にはいやでも自信がついてくる。

飛田 あなたは菊のご紋章のついた艦には乗っとらんだろう。

寺内 そうだ、そうだ、乗っとらん。

菅間 わたしもほとんど駆逐艦暮し……。

飛田 そこがいいンだ。なまじご紋章なんかついている戦艦や重巡に乗ると、人間がなまってくる。

(半藤一利責任編集『太平洋戦争 日本軍艦戦記』より一部抜粋)

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