米潜水艦は疎開船と知って攻撃したのか
祖父から話を聞くにつれ、史上最大の学童死亡事件といわれている対馬丸事件がなぜあまり知られてこなかったのか、怒りを感じるようになったという寿大さん。
「そもそも、ボーフィン号は、対馬丸が学童を乗せた疎開船と知って攻撃したのか。そして護衛艦『宇治』と『蓮』はなぜ対馬丸を見捨てて逃げたのか。その真相を知り、それを形にして後世に伝えたいと、ずっと思っていました」(寿大さん)
祖父や生存者への取材を重ね、声を拾い上げてきた寿大さん。対馬丸の事件を後世に伝えていくために、20年以上テレビ局や映画制作会社に企画を持ち込んできたが、企画が通ることはなかった。
「テレビや映画がダメならと、舞台やアニメ、ラジオドラマなどあらゆる媒体を模索しましたが、実現には至りませんでした。資金調達も難しく、対馬丸の証言を形に残すのはもう無理なのではないかと諦めかけていました」
自身の祖父を演じることを通じて、その心に近づく
しかし、3年前についに映画化が決定。長年の夢をようやく実現できるチャンスをつかんだ。事件の語り部が次々と鬼籍に入っていく中で、映画を通して次の世代に記憶を継承したいと考えた寿大さん。真っ先に、20年以上前に俳優仲間として知り合い、交友を深めてきた葦澤恒さんに声をかけた。当初は葦澤さんが単独で監督する予定でスタートしたが、構成や演出などで意見を交わすうちに、寿大さんと葦澤さんの共同監督という形に落ち着いた。
本作の終盤で、寿大さん自身が祖父・中島髙男を演じるシーンは、葦澤さんがもっともこだわった場面だという。
「この映画では、命を語り継ぐことの意味そのものを問いかけています。『なかったこと』にされた事件の生存者の声を広く世の中に届けるため、そして、寿大さんがお祖父さんの心に近づくための手段として、彼の俳優というスキルを使わない手はないと思いました」(葦澤さん)
情報化社会になったいまは、スマホ1台あれば、何でも検索して調べられる。しかし、調べれば誰でもわかる事実をただ並べたところで、観客の心には刺さらないと葦澤さんは語る。
「戦争を経験していない僕たちの世代が、どうやったら実感をもって伝えられるかと考えたとき、寿大さんなら、その俳優というスキルを活かし、祖父を演じることを通して、自分自身が祖父の心、喜びも哀しみも、しっかりと自分の心に落とし込める。それが重要だと思いました」
ドキュメンタリーに俳優が演じるシーンを入れることに強い抵抗があった寿大さんだったが、最終的には「俳優である自分にしかできない表現方法」と腹をくくり、シーンに挑んだ。
「実際に祖父がインタビューを受けた映像も残っているので、それを自分が再現することは勇気のいることでした。独りよがりに見えてしまうことへの恐れもあった。でも葦澤さんと話し合いを重ねるなかで、納得して臨むことができました」(寿大さん)
