敗戦の1年前、1944年8月に起きた戦時下最大の学童死亡事件「対馬丸事件」。その真相に迫るドキュメンタリー映画『満天の星』が公開中だ。共同監督として初のメガホンを取ったのは、プロデューサー・葦澤恒と、俳優・寿大聡。なぜ、「対馬丸」の映画化に挑んだのか。ふたりの監督に、その動機と想いを聞いた。

対馬丸へ乗り込む人たち ©2024映画「満天の星」製作委員会

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犠牲者推定1484人、国が敷いた箝口令

 史上最大の学童死亡事件といわれる「対馬丸事件」の真相に迫るドキュメンタリー映画『満天の星』。本作は記録ではなく“記憶のバトン”を未来へ手渡す映画だ。プロデューサーとして数多くの作品を生み出してきた葦澤恒さんと、無名塾出身の俳優・寿大聡さんが共同で監督を務め、制作した。

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 戦局が悪化し、沖縄の人々に過酷な現実が迫るなか、対馬丸の悲劇はそれに先んじて起きた。だがこの事件は、戦後長く歴史からこぼれ落ちていた。

 1944年8月22日。沖縄から九州へ疎開する民間人1661人(うち学童が834人)を乗せた陸軍徴用船「対馬丸」が、アメリカ軍の潜水艦ボーフィン号に追尾され、魚雷によりわずか10分で撃沈された。犠牲者は推定1484人。そのうち約半数の784人は学童だった。

 この悲劇が当時あまり知られなかったのは、阿鼻叫喚の船内から夜の海に脱出し、体力の限界を超えて生き延びた生還者に、国が厳しい箝口令を敷いたからだった。生存者は家族にも誰にも対馬丸の撃沈について語ることを禁じられ、「話せば銃殺刑になると脅された」という証言もある。そのため、長らく真相が明かされることはなかったのだ。

 寿大聡さんの祖父・中島髙男さんは対馬丸の生存者だった。寿大さんは、子どもの頃から祖父が語り部として学校や地域の集会などで対馬丸の証言をする姿を見てきたと話す。

祖父・中島髙男さん(左)と寿大聡さん

「最年少甲板員として17歳で対馬丸に乗船した祖父は、数少ない生存者のひとりでした。沈没の衝撃でバラバラになった筏を集めてつなげ、7人を救助したと語っていました」