祖父の過去とパパの幼少期
祖父は中国・瀋陽市にあった満州医科大学を卒業した医学博士で、ハルビン市の満鉄病院に勤めていた。たいへん仕事熱心で、誰かが倒れたと聞けば、雪が降っていようとも往診カバンを手に飛び出し、八路軍と政府軍が戦った内戦時には負傷した兵士の治療にもあたっていたそうだ。日本に引き揚げて戸越銀座に医院を開いてからも、真夜中だろうとなんだろうと往診に向かう祖父の姿を見て、パパは医者という仕事の大変さ、医療の大切さを知ったという。
祖母はしつけに厳しくて、子供だったパパが悪いことをしたら、雪がしんしんと降っていても外に3時間くらい立たせていた。
また、祖父はえらくモテたようで、戸越銀座のクリーニング屋の女将といい関係になって、祖母が店に殴り込んで商店街が騒然となったそうだ。祖母と会うたびに「あのクリーニング屋の女がね」なんて話をしょっちゅう聞かされたものだった。
ビシッとして、チャキチャキしていた祖母だったけど、晩年は新興宗教に入信していた。パパの肺がん発覚をきっかけに入信して、亡くなるまでずっと「辰夫が助かったのは、○○のおかげだ」と言っていた。
そんな祖母とは反対にパパは特定の宗教に入信していなかったし、「しあわせになりたいですか?」みたいなスピリチュアル的なものを受け入れようとはしなかった。
参宮橋時代(私が小学校低学年だった頃)、怪しいハンコのセールスマンがうちにやってきた。「このハンコを作れば、いいことが起きます。天国に行けます!」なんてバーッと言われて、ママはうっかり契約してしまった。契約するやセールスマンから「明日までに500万円払ってくださいよ! じゃないと地獄に落ちますよ!」とド詰めをされて、ママはシクシク泣き出してしまった。
泣いているママから話を聞いたパパは、「そんなもんで開運するわけない!」とカンカン。すぐさま業者に電話をかけて「うちはシャチハタで間に合ってんだよ! 地獄に行ったり天国に行ったりするハンコなんているわけないだろ!」とまくし立てて、クーリング・オフさせていた。
「おい、アンナ。うちの近所のあそこ、絶対に前を通るなよ。ヤバいから」
なにがなんだかわけがわからなかったけど、あとになってパパの言う「うちの近所のあそこ」が足裏診断する新興宗教の本部だったことに気がついたこともあった。
パパから「これはダメだぞ」「あれはマズいぞ」とストレートに教わったことはなかったけど、祖母の新興宗教トークに親戚のみんなと一緒に気まずい思いをしたり、ママがトラブルに巻き込まれたりするのを見てきたことも、私のセンサーの土台となっている。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
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