松原監督は、ハルエさんの生き様に心を動かされた。
「ハルエさんの奥底にある強さや逞しさは、いったいどこで培われたんだろう。それを探して、映画のなかに刻みたいと思いました」
満州で「接待役」を強いられ亡くなった黒川開拓団の女性たちを慰霊する地蔵菩薩「乙女の碑」が建立されたのが1982年。その傍らに、性暴力の事実を明らかにする碑文が建ったのが2018年。実に36年ーー否、終戦から数えれば「空白の73年」が存在する。いったいなぜなのか。松原監督は語る。
「記事が掲載された雑誌が発売されると、遺族会が全部回収して、焼いた」
「実は、『乙女の碑』が建った翌年の1983年に、すでに女性たちは声を上げているんです。月刊誌『宝石』(光文社)が黒川開拓団の女性たちに取材をして、性暴力の件を記事にした。
そこではまだ『K開拓団』とかAさんBさんという仮名表記で、実名は伏せられていましたが、佐藤ハルエさんだけが『実名で書いてほしい』と申し出たといいます。結局、事実を公表したくない他の女性たちにも影響があるということで、叶わなかったのですが。
記事が掲載された雑誌が発売されると、遺族会が全部回収して、焼いた。こうした隠蔽によって、性暴力のことは長らく世間には広まらなかったのです」
安江善子さんも、佐藤ハルエさんとともにかなり初期から声を上げてきた当事者のひとりだ。彼女はかつて、遺族会が作った文集に満州での体験手記を寄稿したが、肝心な部分が本人の許可なくすべて削除されたという。このように性暴力の記録はことごとく消され、元団員には箝口令が敷かれた。にもかかわらず、噂話と女性たちへの誹謗中傷だけが陰で飛び交い続けた。
しかし2013年7月、事は動く。長野県阿智村に同年開館した満蒙開拓平和記念館で行なわれた「語り部の会」に、元開拓団員の講演者として、佐藤ハルエさんと安江善子さんが招かれた。主催者側としては渡満から満州での生活のみを語ってもらう予定だったが、ハルエさんと善子さんがここで「性接待」について淡々と語り出したのだ。




