終戦から80年を迎える今年、ドキュメンタリー映画『黒川の女たち』が話題を呼んでいる。7月12日から公開された本作は、現在も全国の劇場でロングラン上映中だ。
1945年8月9日にソ連軍が旧満州に侵攻し、同月15日に終戦を迎えた後、黒川開拓団(岐阜県黒川村から渡満した団体。黒川村は白川町南東部の旧称)の女性たちが「ソ連兵に対する性接待」という名の性暴力を受けた。敗戦直後、現地の中国人やソ連兵による略奪と暴行が横行するなか、黒川開拓団の幹部はソ連兵に警護と食糧供給を依頼。その見返りとして、女性たちが差し出されたのだ。この映画には、当事者である彼女たちの切なる声が刻みつけられている。
女性たちのその後を追い続けたのは、『報道ステーション』(テレビ朝日)のディレクター、プロデューサーなどを歴任し、2023年の映画『ハマのドン』で多くの賞を受賞した松原文枝監督。
壮絶な体験を語る佐藤ハルエさんの写真に感じた「強い意志」
松原監督が、性暴力の被害に遭った黒川開拓団の女性たちの存在を初めて知ったのは2018年。岐阜市民会館で行なわれた「語り部の会」で、当事者のひとりである佐藤ハルエさんが自身の受けた「性接待」という名の性暴力について語ったことが書かれた新聞記事だった。
「佐藤ハルエさんは1925年生まれで、そのとき93歳だったのですが、この年齢の女性が公の場で自分が受けた性暴力について話すというのは相当な勇気と覚悟がいると思うんです。衝撃を受けました。最後まで事実を隠し通そうとする人もいるなかで、『なぜこの人は話せるんだろう』と思いました。記事に添えられた写真に彼女の意思の強さを感じ、とても引き込まれて、『この人の話を聞きたい』と思ったのがいちばんはじめのきっかけです」
松原監督はまず、2018年11月に岐阜県白川町の神社境内で行なわれた「乙女の碑」碑文の除幕式の模様を映像にまとめた。満州で性暴力の犠牲になり、梅毒や淋病などの性病などで亡くなった4人の女性たちを慰霊した「乙女の碑」は1982年に建立されたが、その慰霊碑が何を意味するのかを説明する記述は添えられていなかった。
つまり終戦から2018年に碑文が建立されるまでの73年間、遺族会や村の人たちはこの事実を隠してきたのだ。しかし、佐藤ハルエさんのように声を上げ続けてきた女性たちがいる。碑文の完成は彼女たちの悲願であり、その除幕式は、黒川開拓団の「負の歴史」が初めて世に公表されたことを意味する。





