安江菊美さんについて松原監督は、
「菊美さんは地元の小中学校で『黒川開拓団』の語り部をされている方。当時者の女性たちとずっとやり取りをして交流しながら、彼女たちを大事にケアされてきました。こうしたシスターフッドも、ハルエさんたちの心の大きな支えになっていたと思います」
と語り、ハルエさんの死についてこう続ける。
「ハルエさんが亡くなったことが、この映画を作る動機の『とどめ』でした。彼女が残したものを何としても形にしなくては。責務を負わされた気持ちになりました」
映画『黒川の女たち』を通じて、ぜひ知ってほしいこと、覚えておいてほしいことが3つあると、松原監督は言う。
「まずひとつには、佐藤ハルエさん、安江善子さんら当事者の女性たちが『自分たちの声で伝えること』を続けてきたということ。自分たちに起きたことを包み隠さず、いろんな圧力に屈せず、抑圧を突き破り、勇気と覚悟を持って話し続けた女性たちがいたのだということを知っていただければ嬉しいです。
それから、事実を認めることの重みと、歴史に向き合うことの大切さ。歴史に向き合うことは、人に向き合うこと。当時の黒川開拓団の幹部たちは、団員の命を守るために女性たちの尊厳を深く傷つけ、彼女たちの人生を奪いました。でも藤井宏之さんのように次の世代がそれを背負い、『誰が、何が、このようなことを起こしたのか』を認めて謝罪することもできる。決して簡単ではないけれど、それは可能なんだということ」
「開拓団を守るために女性を貢ぎ物として差し出す判断をした人がいる」
3つ目は前編で述べた、途中まで名前と顔を伏せていた安江玲子さんの変化を目の当たりにして監督が受け取ったメッセージだという。
「安江玲子さんは、近しい人たちに理解されたことにより、人生の終盤でやっと笑顔が戻りました。でも、そこに行き着くまでにはとてつもなく長い歳月を費やした。どんなに時間がかかっても人間は尊厳を取り戻すことができる、しかし同時に、戦争と性暴力によって一度破壊された人間性は80年かけないと回復することができないということも、知っていただきたいのです。
戦争は、ただの事象としてあるわけではなくて、顔があるものです。その時々に『責任ある判断』が存在するわけです。満州事変を起こすという判断をした人がいる。日本各地の貧村から人柱として満洲に人員を送る判断をした人がいる。開拓団を守るために女性を貢ぎ物として差し出す判断をした人がいる。こうした『誰かの判断』によって人間の尊厳を奪うことの罪深さを、当事者である彼女たちの姿を通して考えていただけたら、と願っています」
「黒川には二度と戻りたくない」と、長らく面会を拒否していた安江玲子さんが初めて遺族会会長・藤井宏之さんの来訪を受け入れた日に彼女が言った、「戦争、負けてよかったね」という言葉が鉛の塊のように、ずしりと響く。この言葉の真意を、松原監督は読み解く。
「彼女たちは敗戦が原因で生じた性暴力の犠牲者で、仮に日本が戦争に勝っていたらこんなことにはならなかったのかもしれない。それなのに玲子さんは、『負けてよかった』と言った。この映画に登場する当事者の女性たちはどなたも、ものすごく客観的に物事を見ているんですよ。
自分たちに起きたことはもちろん悔しいし辛いし、悲しいことだけれども、それよりももっと引いたところで、『泥沼の長期戦を止められたはずなのに止められなかった人間の愚かさ』に言及しているのだと思います。彼女だからこその言葉の重みであり、説得力ですよね」
「乙女の碑」碑文の冒頭には、性暴力を受けた女性が書いた詩が掲げられている。
「乙女の命と引き替えに 団の自決を止める為
若き娘の人柱 捧げて守る開拓団
次に生まれるその時は 平和の国に産まれたい
愛を育て慈しみ 花咲く青春綴りたい」
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