「日本語の勉強をしているのは恥ずかしいことなのかな」アイデンティティに迷った学生時代

――日本語補習授業校には、どんな子たちが通っていたんでしょう。

かんだち 様々です。現地で生まれて、おばあちゃんが日本人だったクォーターの子は「日本の文化にふれ続けたいから」と自分が通っている理由を話してくれたし、親の転勤でアメリカに来たけど、短期間なので「日本へ戻ったときに勉強で遅れないように」という理由から通っている子もいました。

 

――かんだちさんの通っていたところは、日本に何らかのゆかりを持つ子が来ていた、という感じだったんですね。ただ、英語圏の勉強と日本語圏の勉強を両立していると、自分にとっての軸は「どっちなのか」と戸惑ってしまいそうです。

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かんだち そうですね。特に、中学時代や高校時代はどっちつかずの意識でした。むこうでは日系アメリカ人として育ったので、自認するのはアメリカ人なんです。現地の友だちと関わる中では「日本語の勉強をしているのは余計なことだし、恥ずかしいことなのかな」と、迷いもありました。

 当時は、今みたいに日本で暮らすとは思っていなかったし、日本語での勉強は「いつか役立つ」と信じるしかなかったんです。でも、自宅や日本語補習授業校で日本の文化にふれ続けているうちに「自分にとってはなくてはならないもの」に変わって、だんだん、アイデンティティとして失うのが怖くなっていきました。

「この子、ひょっとしたら発達障害かもしれない」と疑われたことも…

――環境によって、言語を使い分けるのも大変そうです。

かんだち 現地の学校では「なんで、私だけ両方の言語ができなければいけないんだろう」という戸惑いもあったんです。友だちとしゃべっていても、1つの物事に対して語彙が2種類あるので頭の中がゴチャゴチャしてしまうし、何か聞かれても「えっと……」「あの~……」と口ごもってしまい、先生にも心配されて。

 バイリンガルあるあるなんですけど「この子、ひょっとしたら発達障害かもしれない」と疑われて、学校にいた専属の心理士にも相談しました。心理士からは「頭の中で言葉がこんがらがってしまうだけなので大丈夫」と言われて、親もホッとしたみたいです。

 

――頭の中で日本語と英語が混ざると、誰かと話すにも怖さが勝ってしまいそうですよね。

かんだち そうなんです。自宅で日本語を間違えると親が冗談まじりにイジってくる環境もあったし、そのせいか「言語をしゃべるときに、イントネーションなどを間違えるのは恥」という考えが、すりこまれてしまった気がします。

 英語の環境で日本語が出てしまったり、その逆で、日本語の環境で英語が出てしまう恥ずかしさもいまだに残っていて。帰国子女というと、ルー大柴さんのように日本語と英語を混ぜる印象を持つ人もいそうですけど、私は、キャラクターとしてわざとやるとき以外は、絶対に混ぜないようにしています。