――各地を転々としていたとなると、引っ越し先での苦労もあったのではないでしょうか。

かんだち そうですね。学校も転々としていたし、高校までに7回も転校したんです。日本人が多い地域と少ない地域で雰囲気が違ったし、英語でも土地ごとの方言があるので、周囲になじむために頑張って覚えました。

 引っ込み思案な母の影響もあり、友だちを家に呼んだり、友だちの家に遊びに行くのもあんまりなかったんです。だから、放課後は妹と遊んだり、読書をして過ごしていました。

ADVERTISEMENT

現在はアイドルグループ「アイドル失格」のメンバーとして活動している(写真=かんだちちよかさんのXより)

「頭の中が『うわ~!』となりました」小学校入学時点で小学2年生に飛び級

――小学校時代には、飛び級も経験したそうですね。

かんだち オースティンからサンフランシスコへ引っ越して、小学校へ入学するタイミングでした。アメリカでは州によって学年ごとの年齢の区切り(基準日)が異なるんです。

 オースティンのあるテキサス州に住んでいればそのまま小学1年生になっていたんですけど、サンフランシスコのあるカリフォルニア州への引っ越しが決まったときに、私は英語の読み書きが得意だから「1つ上の学年の方がいいかもしれない」と親と先生が話し合って、小学校入学時点で小学2年生になりました。

 今思えば、早くステップアップできたんですけど、当時は急に「11-7」の計算をやらされたりして頭の中が「うわ~!」となりました(笑)。

――今でこそ「バイリンガル」ではありますが、元々、しゃべっていたのは何語だったんですか?

かんだち 自宅では英語禁止ルールがあって、幼稚園に通うまではずっと日本語でしゃべっていました。英語を見聞きするのは、外出先やテレビぐらいだったんです。幼稚園からは外では英語をしゃべり、自宅では日本語をしゃべる生活でした。

 

「日本人に負けない日本語を」という教育方針で日本の学校の内容に沿った勉強も

――成長するにつれて日本語が苦手になったりも?

かんだち 英語に比べて苦手ではあるのですが、努力で乗り越えました。英語が苦手な母が「日本人に負けない日本語を」と熱心に教えてくれたんです。物心がついた頃から中学時代までは、祖父母が日本から郵送してくれた「進研ゼミ」の教材で、日本の学校の内容に沿った勉強もしていました。

 幼稚園の年中から高校にかけては土曜日だけ、各地にあった日本語補習授業校(日本の学習指導要領にもとづいた授業を行う海外の教育施設)にも通って。

 日本の学校で教えている1週間分の内容を1日で詰め込むなかなかのスパルタな環境で、平日は現地の学校にも通わなければいけないので、日曜日だけで日本語の宿題を片付けるのも大変でした。