もし生まれ変わっても、この病気を経験したい

――当時アップした動画は20万回近く再生されていますね。

シンディ 自分の病気を公表したことで、逆に、同じ経験をした女性たちが私の背中を押してくれました。私は誰かを救いたいと思っていたんですが、「卵巣腫瘍を乗り越えて、子供を生みました」という言葉に励まされたのは私の方だったんです。人に弱味を見せても大丈夫なんだと気づく大きなきっかけになりました。

 よく「人生をやり直せるとしたら、もうこんな病気は経験したくないでしょ?」って聞かれるんですけど、私はもう1回やり直せるとしても、この病気を経験したいと思います。この病気を経験しなければ今の私にはなれないし、辛かった経験もエネルギーに変えていこうと決めているので。

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本人提供

――強いですね。

シンディ 18歳の時、あんな病気を経験しても死ななかったのは、再発した時にその経験を多くの人に伝えるため。だから、私は生かされたんじゃないでしょうか。

 私が大好きだった母方の祖父は市議会議員や青少年野球団体会長を務めていたんですが、ある時、脳の血管が切れて、半身不随になったんです。医師からは車椅子生活になると言われたけど、「子供の夢を応援する仕事をしている私が車椅子で球場に行けるわけないだろ」と頑張ってリハビリして、杖をついて歩けるまで回復したんです。強いおじいちゃんでした。

幼少期のシンディさん(本人提供)

 私は祖父の家で背中を洗うのを手伝うのが楽しみでよく一緒にお風呂に入っていたんですが、ある時、祖父が高い位置にあるタオル掛けからタオルを取って、体を拭いたんです。戻すのを私が手伝おうとしたら、祖父は「大丈夫だよ。見てて」と言って、タオルをヒュッと投げて戻しました。

「片腕しか動かなくても、こうしてできるんだよ。人は生きていけるんだよ」。「人は必要とされている限り、生かされるんだよ」。祖父がそう話してくれたのを、よく覚えています。

写真=深野未季/文藝春秋

――シンディさんも同じ考え方、生き方をされているんですね。

シンディ 初めての手術で「私死んじゃうのかな」と思った時、祖父の笑顔を見たような気がしたんです。その時は、「おじいちゃんが守ってくれたんだな」くらいの認識でした。

 でも、24歳で再手術をした時に強く意識したのは、「人は必要とされている限り、生き続ける、生かされる」という祖父の言葉。このことに気づくことができて、感謝しています。