恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』シーズン4に参加し、現在はタレントとして活動するシンディ(本名:桑原(くわばら)茉萌(まほ))。

 学生時代に卵巣腫瘍が発覚し、壮絶な闘病を経験した彼女。だが、成人してからも卵巣腫瘍の再発、子宮頸がんの軽度異形成が判明するなど、女性疾患との戦いは続いた。(全7回の6回目/続きを読む

シンディこと桑原茉萌さん(本人提供)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

――バチェラーを途中辞退され、帰国後はどう過ごされましたか。

シンディ 撮影から帰って病院に行ったら、卵巣の腫瘍がまた大きくなっていて、手術をするよう言われたんです。

バチェラー共演者たちと(本人提供)

 再手術にはすごい抵抗がありましたし、『バチェラー』をきっかけに芸能活動をさらに頑張るつもりでいたのに、「何で神様は私に試練ばっかり与えてくるんだろう、どれだけ頑張ったら認めてもらえるのか、自分が求めている幸福が手に入るんだろう」と落ち込みました。

病気をYouTubeでカミングアウト

――とはいえ、手術しないわけにはいきませんよね。

シンディ 1回目の手術のトラウマが大きすぎて、2回目の手術前は動悸がして眠れず、睡眠薬を飲んでいました。

 コロナ禍だったので誰とも面会できなかったこともあり、ひとりで恐怖を乗り越えるために、自分の病気をYouTubeでカミングアウトすることにしたんです。私が勇気を出すためにも、この病気を受け入れるためにも。

24歳で卵巣腫瘍が再発。SNSで病状をカミングアウトした(本人提供)

 自分ひとりだと大きなトラウマに負けてしまいそうだったので、みんなに公言してしまえば、逃げ場がなくなるじゃないですか。結論から言うと、2回目の手術は全く痛くなくて、びっくりしたんですが。

――2回目の手術の予後が良かったのは不幸中の幸いでした。それでも、闘病生活を公表するのは勇気が要りそうです。

シンディ 初めて手術をした18歳の私には全く知名度がありませんでした。病気を公表したところで、誰にも届かない。

 でも、24歳になって2回目の手術をした時、SNSのフォロワー数が12万人くらいに増えていたんです。今の私が発言すれば、同じ病気で悩んでいる女の子を救うことができるかもしれない。そういう気持ちから、発信を決めました。

写真=深野未季/文藝春秋

同じ経験をした女性たちが背中を押してくれた

――実際発信してみて、いかがでしたか。

シンディ 病院に許可申請をして、個室料金を払って、手術前から手術後まで発信した時は正直ビクビクしていました。これまで「“シンディ”というキャラクターは絶対にSNSでマイナスなことを発信しない」を徹底してきた中での、初めての“弱い私”だったから。

 特に男性は女性疾患の話なんて聞きたくないだろうし、手術を公言したことで、「子供を生めない体なんじゃないか」とか「病気を売りにするな」とかの反応もありました。実際、あんな経験をしたので、自分でも子供を生める気がしなかったし、「私は欠陥品だ」と自分自身が思っちゃっていました。