恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』シーズン4に参加し、現在はタレントとして活動するシンディ(本名:桑原(くわばら)茉萌(まほ))。

 ビッグスマイルが印象的な彼女だが、学生時代には同性からのいじめや両親との距離に苦しみ、深い孤独を抱えていたという。彼女の原点といえる幼少期の話を聞いた。(全7回の1回目/続きを読む

シンディこと桑原茉萌さん 写真=深野未季/文藝春秋

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――どんな子供時代を過ごされましたか?

シンディ 実は中学生の頃、遺書を書いたことがあります。バスケットボール部に入部したんですけど、中心人物だった女の子の好きな男の子が私のことを好きになって、ひどいいじめに遭いました。

 自分のことがすごく嫌になって、泣きながら遺書を書いて、「デスノート」のようにいじめた子たちの名前もそこに書き込んだんです。でも、これで死ぬのは悔しいという気持ちもあって、思いとどまりました。

 私の母親はすごく強い人で、「部活動を変えたい」って相談したら、「ここで辞めたら、その子たちの思い通りになるけど、そんな人生でいいの?」って。私も負けたくないと思って、慕ってくれる後輩の子たちと仲良くしながら何とか続けられました。

男性を味方に付けることが多い人生に

――味方がいてくれて良かったですね。

シンディ 嫌われた状態から好きになってもらうのはすごく難しい。学生時代にあまりに女の子から嫌われた経験から、最初から自分のことを好いてくれる人——男性を味方に付けて、恩恵を受けることが多い人生になった気がします。

本人提供

――ご両親は相談に乗ってくれましたか?

シンディ 私の両親は本当に不器用すぎるんです。愛情表現が苦手。

 父は養子として祖母に育てられたので実の両親からの愛情を身近に感じられず育ちました。母は宮城の出身で、祖父が市議会議員、祖母が看護師という厳格な家庭で育ったんです。毎日3つの習い事に通う生活に耐えられず、家出した先の東京で2人は恋に落ちました。20歳で授かり婚をしたんです。

 父は手に職を付けて祖父に結婚を認めてもらい、私が5歳の時に埼玉で暮らすことになりました。姉、私、妹の5人家族です。自営業の両親はいつも忙しくて、学校行事を観に来てくれたことは一度もありませんでした。すごく悲しかった。