恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』シーズン4に参加し、現在はタレントとして活動するシンディ(本名:桑原茉萌)。
No.1キャバクラ嬢として成功を収めた後、彼女はバーレスク東京(現ロクサンエンジェル)へと活躍の場を移す。華やかなショーの世界で、持ち前の発想力と努力を武器に、トップダンサーへと登り詰めていくまでの軌跡を聞いた。(全7回の4回目/続きを読む)
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「バーレスク店内でスカウトされた初めての女の子」
――どんな経緯で入店されたのですか?
シンディ ある時、お客様の同伴で東京・六本木の「バーレスク東京」のショーを観に行ったんです。そこで、女性のお客様が女性のダンサーを応援して、シャンパンを入れたり、プレゼントをしたりする世界があることを初めて知りました。当時、りおさんというダンサーがバーレスクで踊っていて、彼女に「可愛いから、一緒に働かない?」ってスカウトされたんです。
ファンを喜ばせるための冗談かな?って思ったんですけど、りおさんはお店のMCの方を連れてきてくれて、彼も「超可愛いじゃん。一緒に働こうよ」と言ってくれました。「私、この環境に来られるの???」と驚きましたが、「バーレスク店内でスカウトされた初めての女の子」になったんです。
「嘘みたいにすごい女の子」になろうと決めた
――それでキャバクラを卒業されたんですね。
シンディ バーレスクにスカウトされたのは10月でした。私はキャバクラでずっとナンバーワンを張らせて頂いていたので、「お客様にきちんと挨拶してから次のステップに行きたいので半年待って下さい」とお願いしたんです。それで翌年の4月1日に入店させてもらいました。
エイプリルフールを選んだのは、「まるで嘘みたいにすごい女の子」になろうと決めたから。
――どんな女の子になりたかったんですか。
シンディ 私はずっと女の子の友達がたくさんいる女の子に憧れていたんです。“桑原茉萌”ではそれが難しかったので、バーレスクでは“シンディ”と名乗ることにしました。
“シンディ”を選んだのはちっちゃい頃から『シンデレラ』が好きだったから。シンディになって、「女の子に好かれる女の子になる」。ただ、「結婚してめでたし、めでたし」で終わる『シンデレラ』のラストには昔から納得がいってなかったので、「私が結婚したその先も示せるプリンセスになろう」と決めました。私だけの「シンデレラ・ストーリー」を作るつもりで、“シンディ”になったんです。



