恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』シーズン4に参加し、現在はタレントとして活動するシンディ(本名:桑原(くわばら)茉萌(まほ))。

 高校卒業後、彼女はバスガイドや歯科助手としての勤務経験を経て、やがてNo.1キャバクラ嬢として名を上げていく。その裏には、他人にはうかがい知れない彼女ならではの決意や工夫があった。(全7回の3回目/続きを読む

シンディこと桑原茉萌さん 写真=深野未季/文藝春秋

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――高校卒業後はどのような道に進まれましたか。

シンディ アナウンサーに憧れる気持ちもあったんです。でも、アナウンサーになるには大学に進学して、ミスコンでグランプリを獲らなきゃいけない。女子に嫌われやすいのにグランプリになれるわけがない。じゃあ、キャビンアテンダントになりたい。専門学校に行かなきゃいけないけど、そんなお金はうちにはない。それで、寮生活ができるバスガイドを選びました。

バスガイド時代のシンディさん(本人提供)

 子供の頃、友達は「ハワイに行った」「沖縄に行った」とか言っているのに、私は旅行になかなか連れて行ってもらえなかった。行きたい場所がいっぱいあったので、じゃあ自分の力で旅行に行こうと思ったんです。人の想い出に残る仕事がしたかったし、バスの中で歌ってみんなを楽しませれば、疑似アイドルを体験できるかなって。

「睡眠時間を削ってノートを…」過酷だったバスガイド時代

――バスガイドは楽しかったですか?

シンディ 向いていたと思います。臨機応変に観光名所や歴史を説明できるようになるために、睡眠時間を削ってノートを付けていました。小中高の子供たちが「一緒に写真を撮りたい」って私の前にたくさん集まってきてくれたのが嬉しかったですね。

バスガイド時代に付けていたノート(本人提供)

――どれくらい続けられたんですか。

シンディ 1年です。バスガイドの仕事ってかなり過酷なんですよね。まず休みがない。行く場所も直前に決まり、そこから勉強し、運転士さんや先輩ガイドさんにルートの相談をしに行くんです。新人でわからないことだらけだったので、とにかく勉強しました。

 休日も直前に決まるので、予定が立てられない。その間、卵巣腫瘍の定期検診はずっと続けていました。そして、体調を崩してしまったので、辞めることにしたんです。