芸能生活の原点となった“おじいちゃんの言葉”
――ご両親に甘えられず、寂しい思いをされたんですね。
シンディ ちっちゃい頃から、とにかく親に褒められたくて、認められたくて、仕様がありませんでした。だから、あらゆることを頑張ったんです。
勉強は学年で1番とかではなかったけど30番くらいには入っていたし、中学では学校代表の駅伝選手に3年続けて選ばれたし、学級委員もずっと務めてきました。私は外面がいいので内申点も高かったけど、「すごいね」とか「頑張ったね」とかは一度も言われなくて、いつも「もっとできるでしょ」って。
――とにかくハードルが高かった。
シンディ そんな厳しい両親がテレビには興味を示していたので、テレビの中に入れば私を見てくれるんじゃないかと思ったんです。
私がいま人前に立つ仕事をしているのは親に褒められたい一心から。それに、母方の祖父がよく「茉萌は可愛いから将来芸能人になる」と言ってくれていたので、大好きなおじいちゃんの期待に応えたかった。
「よく鏡見なさい。そんな可愛くないよ」
――いつから芸能活動を始めたんですか。
シンディ アイドルに憧れたものの、両親は若くして子育てしていたのでお金に余裕がなく、習い事ひとつさせてもらえませんでした。親に「芸能界に入りたい」と頼んでも、「よく鏡見なさい。そんな可愛くないよ」と反対されて。
それは他にも理由があり、「芸能事務所に入るためのレッスン代を出してあげる余裕がなかった。ごめんね」と。これは私が大人になってから聞いたことですけど。
――親に「可愛くない」と言われると傷つきますね。
シンディ 学校ではいじめられるし、親からも愛されていない。両親と顔が似ていないから、私だけ本当の子供じゃないのかもしれないと考えていました。
姉妹がいますが、2人とも人見知りだったため、子供の頃から人懐っこい私が大人の注目を集めることが多く、そのせいか2人とも心の距離があったように思います。
学生時代から負けず嫌いだった
――昔からシンディさんは愛想が良かったんですね。
シンディ 自分の外見を整えるのもすごく好きだったので、高校は制服の可愛さで選びました。でも、その高校は遠くて、親に電車通学をさせてほしいとお願いしたんです。
親は承諾してくれましたが、姉に「茉萌だけずるい」と反対されて。諦めるのは悔しいから、片道13キロを1時間かけて自転車通学することにしました。雨の日も風の日も雪の日も雹が降ってても。私、負けず嫌いなんですよ(笑)。
――根性ありますね(笑)。
シンディ 親には競輪選手になればいいと言われました。仕事中の親がハイエースでバイパスを走っていた時、すごい速さで自転車を立ち漕ぎしてる女の子がいると思ったら、「うちの茉萌だった」って。通り過ぎる時に、窓開けて、「頑張れ——!」。同じ方向に行くなら、自転車を積んで乗せてくれてもいいのに!


