人生の充実感はどうすれば得られるか。古典教養アカデミー学長の宮下友彰さんは「カントは、昼からビールを飲む行為を『奴隷』的行為だと蔑む一方で、自分を戒め、ビールを飲もうとする欲求をぐっと抑えることこそが、自分の欲望から『自由』になれたということだと説いた」という――。

※本稿は、宮下友彰『不条理な世の中を、僕はこうして生きてきた。知っているようで知らない「古典教養の知恵」』(大和出版)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/xijian ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/xijian

一風変わった「自由」の解釈

「自由とは自分を律することである」
――退廃的な毎日から救ってくれた言葉

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スピノザの章では、「自由意志」など存在しないという主張を紹介しました。

本稿で紹介する哲学者エマニュエル・カントはその逆で、「自由」は存在すると定義した人物です。

真逆の主張に混乱するかもしれませんが、古典教養を学ぶいいところは、相対する考えを学べることにあります。

今回の「自由」について言えば、「自由などない」と信じたほうが気がラクになることもあれば、「自由は存在する」と信じたほうが気がラクになることもあるでしょう。

気分で服を替えるように、考え方も気分によって変えればいいと思います。

では、一風変わった「自由」の解釈をしたカントという哲学者の思想を見ていきましょう。

自由とは自分を律すること

カント「自律」のあらまし
――昼間からビールを飲むことは自由?

エマニュエル・カントは18世紀末を生きた哲学者です。

彼は毎日、決まった時間に起床し、決まった時間に散歩をし、さまざまな哲学的な諸問題を歩きながら考える、非常に生真面目な人間でした。

それは彼の哲学にも反映されているのですが、その最たるものは、彼が定めた「自由」の定義です。

カントは言います。

「自由とは自律である」。

自由とは自分を律することである、と主張するのです。

では、「何にも縛られない」という意味であるはずの自由が、なぜ「律する」という言葉で表現されるのだと思いますか?