「お前は自由の意味をはき違えている」と。
たしかに、一般的に自由とは「誰にも邪魔されない」「好きなときに好きなことができる」といったものです。
しかし、その通りにやってもなぜか充実感はありません。
夜中までバーで飲み明かしたのに、なぜか虚しさしか残らない。
たまに平日では仕事が終わらず、土曜日を使って全部仕事を終わらせようと、休日出社をすることがありました。
結局、すべての仕事が終わるのは夜なのですが、なぜか充実感があるのです。
この違いこそが、カントの「自由とは自律である」という主張でした。
僕はあえて、「決して土曜日を無駄に使わずに」「仕事を終わらせることに使う」という自分に課したルールを守ったことによって、カントの言う自律的な自由な状態になり、それにより、たしかな充実感を得ることができたのです。
充実感を得る方法をカントから学んだ僕は、徐々に友人の数も増えていく中で、ある企画を始めることにしました。
それは、「本を読み、その本の魅力をプレゼンする」という「読書会」というもので、あえて開催日時を土曜日の朝7時に設定しました。
その決断の裏にも、やはりカントの哲学がありました。
何からも束縛されることなく、何件も飲み屋を回り続ける行為は「自由」ではなく、むしろそれは欲望の「奴隷」です。
そうではなく、「土曜日の朝は早く起床しなければならない」という、自分で決めたルールに忠実に従うことこそが真の「自由」だと、カントは称賛してくれるはずだと思ったのです。
罪悪感は、欲望に打ち勝つことで消えていった
実際に、「読書会」は、毎回20名ほどのメンバーが集まり、定期的に開催されるようになりました。
彼らも僕と同じように「金曜日の夜に遊びすぎて、土曜日の大半を無駄にしてしまって、後ろめたさが残っていた」と話してくれました。
なぜ、後ろめたさを感じるのでしょうか。
それは、カントの言うように、心のどこかで「自分の欲望の奴隷になってしまった」という罪悪感が存在するからです。