反対に、自分で決めたルールに従い、ケーキを食べるのを自ら拒んだとき、あなたは真に自律的であり、「自由」になれたということになります。

「自由とは自律である」というのは、一見矛盾した主張に思えますが、このように考えると納得できるのではないでしょうか。

この古典教養が救ってくれる人
・自由に過ごしているものの、なぜか満足感がない人
・休日をどう過ごせばいいかわからない人
・自分は「リア充」とは程遠いと考えて、落ち込んでいる人

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自由の意味を知り、人生を変えようと考えた

僕は先述の通り、大阪支社で勤務しながら、楽しい日々を過ごしていました。

初めての一人暮らしで、どんなに夜遅く帰ってきても、誰にも迷惑をかけない。

当時の僕にとって最高に「自由」な毎日でした(カントの定義する「自由」とは違いますが)。

特に金曜日の夜は、朝になるまで会社の後輩と飲み歩いたり、さまざまなバーに顔を出し、人間関係を広げていました。

その犠牲というべきか、土曜日のはじまりは、だいたい昼か、最悪の場合、夕方で、二日酔いによる頭痛に苦しみながら起床します。

そして、迎え酒で、土曜日の夜はまたバーに繰り出し、日曜日も潰す。

そんな堕落した休日を過ごしていました。

一方で、大阪でゼロから知り合いを増やしていくうちに、「会社の力を借りずに、1人でこの地でやっていけるのではないか」という考えが湧いてきました。

新入社員時代の「仕事から逃避する」ためのネガティブな退職ではなく、「仕事が楽しいから」こそ、自分の可能性を突き詰めてみたいというポジティブな退職を考えはじめたのです。

そんな考えを持ったまま、なんとなく日々を過ごしていただけでしたが、次第に、土日の大半を二日酔いで潰してしまっていいのか、もっと将来を考えるための時間に使うべきではないかと真剣に考えるようになりました。

好きなときに好きなことができても充実感がない

そのとき、偉大な哲学者であるカントの声が聞こえました。