同じ釜の飯を食っている

 しかし、師匠の体調が思わしくなく、入門から2年ほどで部屋が閉鎖。幕下十枚目の時に、力士と呼出さんの4人で、伊勢ヶ濱部屋に移籍することになったのです。それまでも他の部屋に出稽古に行くことはありましたが、当時の伊勢ヶ濱部屋には横綱日馬富士関や元関脇の安美錦関(現安治川親方)などがいて人数も多いし、雰囲気がまるで違う。稽古の質も量も違い、気が張ってすごく疲れる毎日でした。親方も兄弟子もみんな怖かったですしね(笑)。環境に慣れるまで時間が掛かり、体が痩せてしぼんでいくんです。でも稽古にも慣れると、また徐々に大きくなっていき、力強さも出てきて、移籍二場所目で新十両に昇進することができました。

宮城野親方(元横綱旭富士・右)から部屋を受け継いだ Ⓒ共同通信社

 現在、伊勢ヶ濱部屋には、元横綱白鵬関の相撲協会退職にともない、その弟子たちが移籍してきています。けれど、メディアではいまだに「旧宮城野部屋の力士」と書かれることがある。私としては、自分の経験から思うところがあります。私が伊勢ヶ濱部屋に移った時も、しばらくは「旧間垣部屋の力士」と書かれていました。そういった文言を見ると、「他から来た子」と扱われている気分になってしまうというのかな……やはり、どうしても意識してしまうものなんです。だからこそ、彼らをあまり不安にさせたくないんですよ。もう同じ釜の飯を食っている力士ですから、私たちはまったく区別せずに、土俵で一緒に稽古をして、土俵外では仲良く生活しています。

稽古では指導に熱が入る Ⓒ時事通信社

 自分の相撲人生を振り返ると、新十両昇進後は順調に出世して、2015年五月場所で初優勝し、翌場所には大関に昇進しました。初土俵から大関昇進まで25場所という歴代3位の記録だったそうです。部屋の兄弟子の日馬富士関が第七十代横綱だったので、「次は俺だ!」との思いで「七十一」と書いた紙を貼り、横綱昇進を目標にしていました。

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 でも、大関昇進二場所目でまず右膝をケガし、そこをかばうために左膝も痛めてしまった。それでも2年ほどは、だましだまし土俵に立っていました。親方からは「力任せの相撲を取っていると、いつかケガをするぞ」と言われ続けていたのですが、身をもってその意味を知ることになってしまったのです。

※本記事の全文(約7000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2025年9月号に掲載されています(伊勢ヶ濱春雄「あきらめないで本当によかった」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
・数学オリンピックでメダル
・相撲人生を二度楽しめた
・16歳でスケート場を経営
・力士たちの運動会
・なぜ横綱はしめ縄を締めるのか

出典元

文藝春秋

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