8月29日(金)に開幕する第21回大阪アジアン映画祭のオープニング作品として、ジュディ・オングさん主演の台湾映画『万博追跡』(2Kレストア版)がワールド・プレミア上映される。同作は1970年の万博開催中に撮影されたが、日本では未公開に終わっていた“幻の作品”。レストアによって美しい映像がよみがえり、太陽の塔ほか色鮮やかなパビリオンの数々はもちろん、人々の服装など当時の世相も垣間見えて、記録映像としても貴重なもの。当時の20歳のジュディ・オングさんの輝くような美しさにも目を瞠るだろう。29日のプレミアで登壇を予定しているジュディ・オングさんに、単独インタビューを行った。

インタビューに答えるジュディ・オングさん 撮影:細田忠

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『万博追跡』のお話
1970年の大阪万博で台湾パビリオンのコンパニオンに抜擢された少女(ジュディ・オング)は、かつて母と自分を助けてくれた台湾の恩人を探すため、万博会場を駆け巡る! ミュージカルやアクションを融合させながら、舞台は大阪から神戸・京都・奈良、そして北海道へとひろがるスペクタクル・エンタテインメント。

恩人の手がかりを探して万博会場を駆け巡る ©2025 Taiwan Film and Audliovisual Institute.All rights reserved.

――台湾で生まれ3歳で来日、9歳で劇団ひまわりに入団。日台で人気者となり、ドラマや歌で活躍されていました。この映画に出演されたときは20歳、上智大学国際学部の学生でもあった。そもそもこの映画には、どのような経緯で出演されることになったのでしょう?

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ジュディ・オング(以下、ジュディ) この『万博追跡』は台湾国営の映画会社「中央電影」の製作だったのですが、そのトップの方が私の父と仲良しだったんです。そんなことで縁が出来まして、私が芸能活動で日本と台湾を行き来し始めていたこともあって、「台湾でも映画に出ない?」と声がかかったんです。最初は『小翠』という時代劇映画でした。その次がこの『万博追跡』だったんです。

 当時はかなり芸能のお仕事や学業に忙しい日々を送っていたんですが、ちょうど大阪で万博を紹介する番組に出ることになって、半年間、毎週大阪へ行くことになりました。それで、番組の合間を縫って、2週間ぐらいでこの映画を撮影したんだと思います。55年前のことになりますが、もう大変だったことは覚えています。

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――万博会場での撮影は、来場者であふれる開場中に行われたそうですね。

ジュディ ええ。おそらく、人の通行を止めてライティングをして、というような映画の撮影許可は下りなかったんだと思うんです。ドキュメンタリー撮影の許可は下りていたので、いわゆる「隠れて撮る」という形でした。