元巨人投手の柴田章吾さん(36)が昨年12月、インドネシア・ジャカルタで「第1回アジア甲子園」を開催した。中学3年で国指定の難病「ベーチェット病」を発症しながらも甲子園に出場、明治大を経て巨人に育成3位で入団。現役引退後はコンサルティング会社を経て起業し、現在は野球普及のためアジア各国を飛び回っている。
異色の経歴を歩む柴田さんが、なぜ「アジア甲子園」という壮大なプロジェクトを実現させたのか。その背景には、自身の野球人生を変えた甲子園での体験があった。
医師から「腸が破れるからヘッドスライディングはするな」
柴田さんは中学3年時、腹部に激痛が走り病院で検査を受けたところ「ベーチェット病」と診断された。
「40度の熱が出るし、口内炎が20個くらいできました。それを無理やり抑えるために、大量のステロイドを摂るんです。経口ステロイドって1日5mgくらいがふつうの摂取量らしいんですが、僕は当時80mgくらい摂取していました」
愛工大名電高では練習時間が1時間に制限され、チームメイトとは完全に別メニューでの調整を余儀なくされた。ステロイドの副作用で腹膜が破れやすくなっていたため、主治医からは「腸が破れるからヘッドスライディングはするな」と厳しく注意されていたという。
高校3年夏、ついに甲子園出場を決めた瞬間について柴田さんは振り返る。
「病気になってからいちばんの目標が甲子園出場だったので、それが叶った瞬間でした。いままで治療とリハビリに耐えてきてよかった、がんばってきて本当によかったと思って、ぼろぼろと涙が流れました」
甲子園のマウンドでの感覚は「ふわふわしていました。天国にいる感じです」と表現し、「甲子園は自分の人生が変わるきっかけになったイベントだった」と話す。この体験が後の「アジア甲子園」構想の原点となった。
明治大では野村祐輔、阿部寿樹、島内宏明らと同期で、全国制覇も経験。しかし大学2年時にイップスを発症し、苦しい日々を送った。「自分が投げる球をコントロールできなくなってしまいました」と当時を振り返る。
きっかけは『ドラゴン桜』の作者・三田紀房氏との出会いだった
それでも巨人に育成3位で入団。現役時代は山本昌、豊田清、内海哲也らの指導を受け、一時は146キロまで球速を回復させたが、3年で自由契約となった。
退団後は球団職員を経てアクセンチュアに転職。コンサルタントとしてのスキルを身につけ、2019年に起業した。そして2022年、「アジア甲子園」実現に向けて一般社団法人NB.ACADEMYを設立した。
きっかけは『ドラゴン桜』の作者・三田紀房氏との出会いだった。「東南アジアに野球を広めたいんですが、どういう方法がいいか思いつかないんです」と相談したところ、三田氏から「アジアで甲子園やったらいいんじゃない?」と提案された。
8か月で19社から約5000万円の支援を集め、昨年12月についに第1回大会を開催。参加した現地の選手たちが「野球をやりたい」という主体的な気持ちから変化していく姿を目の当たりにし、手応えを感じたという。
今年も東南アジア4~5か国から参加チーム数を倍増して第2回大会を開催予定だ。自らの野球人生を変えた甲子園の感動を、今度はアジアの若者たちに届けようとしている。

