プロ野球選手のセカンドキャリアは様々だが、そのなかでも特殊な経歴を歩む人がいる。“89年世代”で菅野智之、中田翔、丸佳浩、菊池涼介、野村祐輔らと同級生に生まれ、将来有望の投手として早くから注目を浴びるも、中3で国指定の難病「ベーチェット病」を発症。それでも愛工大名電高で甲子園に出場し、明治大から巨人に育成3位で入団した。
3年間プロ野球の世界にいたのち、球団職員から大手コンサルティング会社・アクセンチュアに転職。3年半後に起業し、現在は「アジア甲子園」開催のためにアジア各国を訪れ活動している。
難病・ケガ・イップスに悩まされた現役時代と、異色の道を歩む現在について話を聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)
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野村祐輔、阿部寿樹、島内宏明がいた明治大
——甲子園に出場し、その後の進路として選んだのは明治大でした。当時の東京六大学野球といえば、1学年上に早稲田大の斎藤佑樹さんがいるなど、世間からも注目されていましたね。
柴田章吾さん(以下、柴田) 大人の世界だな、というのが第一印象です。僕、田舎育ちなので東京六大学の試合ってこんなにおしゃれなんだと思いました。甲子園と神宮は雰囲気がまた全然違いますよね。斎藤さんは甲子園の大活躍からもちろん知っていましたが、六大学の食事会があって、そこにいるのを見たくらいでお話ししたことはなかったかと思います。
——明治大に入ってみて、どうでしたか。
柴田 僕の学年はいま思うとすごい人がたくさんいたんですよ。野村祐輔(広島コーチ)、阿部寿樹(楽天)、島内宏明(楽天)はプロで活躍しています。他にも難波剛太、森田貴之、隈部智也、川辺健司、中村将貴、竹田育央など、甲子園で活躍して大学卒業後は社会人野球で実績を残すような選手がたくさんいました。僕らが4年秋のリーグ戦は優勝し、日本一にもなっています。
——ベーチェット病の症状はそのころは。
柴田 大学のころになると、だいぶ落ち着いていました。野球の調子もよくて、ストレートが145キロくらい出るようになっていました。1年春からベンチ入りして、出場機会をいただくこともできたんです。でも、そこがピークでしたね。



