プロ野球選手のセカンドキャリアは様々だが、そのなかでも特殊な経歴を歩む人がいる。“89年世代”で菅野智之、中田翔、丸佳浩、菊池涼介、野村祐輔らと同級生に生まれ、将来有望の投手として早くから注目を浴びるも、中3で国指定の難病「ベーチェット病」を発症。それでも愛工大名電高で甲子園に出場し、明治大から巨人に育成3位で入団した。
3年間プロ野球の世界にいたのち、球団職員から大手コンサルティング会社・アクセンチュアに転職。3年半後に起業し、現在は「アジア甲子園」開催のためアジア各国を訪れ活動している。
難病・ケガ・イップスに悩まされた現役時代と、異色の道を歩む現在について話を聞いた。(全3回の3回目/はじめから読む)
◆◆◆
広告代理店、商社を志望していた就活時代
——巨人退団後、1年間球団職員を務めたのちにコンサルティング会社のアクセンチュアに入社されています。大きなキャリアチェンジに感じられますが、どのような経緯があったのですか。
柴田章吾さん(以下、柴田) 実ははじめ、広告代理店か商社に入りたいと思って就職活動をしていたんです。当時25、26歳でしたが、大学生の新卒枠に混じってOB訪問や企業研究をして、採用試験を受けました。ところが、広告代理店の最終面接で落ちてしまったんです。
そのころ僕はとにかく「入社することがゴール」になっていて、その先にどんなキャリアを歩みたいかまで考えが及んでいませんでした。だから、本当はスポーツに携わりたかったはずなのに「自動車でも食品でもなんでもやります!」という感じで答えてしまって。すべてを見透かされた感じがして、面接中に落ちたことを確信するくらいでしたね。
次はどうしようかと迷っていたとき、初めて就職エージェントに相談してみたところ、「いますぐ希望の職種で受けられるところはないが、ここで3年働けば希望が叶うかもしれない激務な会社がある」と紹介されたのがアクセンチュアでした。最終面接では、前回の反省をいかして、正直な気持ちを伝えることにしました。「将来はMLBのフロントスタッフとして経営に携わるキャリアを歩みたい。そのために、まず3年しっかりここで修行したいんです」と。これまでの特性を踏まえ、意思を持って進もうとしていると感じられたらしく、ありがたいことに採用していただけました。



