『ドラゴン桜』の三田紀房が「え、本当にやるの?」
——アジア甲子園とはどのようなものですか。
柴田 僕自身の人生を大きく変えてくれた夏の甲子園のような野球大会を、アジア圏にも広げようというプロジェクトです。昨年の12月17日から21日にかけて、ようやく第1回大会をインドネシアのジャカルタで開催することができました。まずはインドネシア国内の州対抗戦として8チームが参加し、全16試合を行うことができました。
——そもそもどのような経緯でアジア甲子園を発想したのでしょうか。
柴田 2020年にフィリピンでの野球アカデミー運営を断念したあたりで、『ドラゴン桜』を描かれた三田紀房先生とお会いすることがあり、そこで話してみたんです。「東南アジアに野球を広めたいんですが、どういう方法がいいか思いつかないんです」と。
そしたら三田先生から「アジアで甲子園やったらいいんじゃない?」と提案がありました。「日本の学生は東大などの大学に行きたくて勉強する。そのために高校や中学を選ぶし、塾にも入る。目標があるから競技人口が増えるのだから、野球の目標がない国でアカデミーをやっても厳しい。まずはみんなが目指せる目標をつくればいいのでは。いきなりプロだと遠すぎるから、誰もが目指せる甲子園を開催したらいいんじゃない?」とのことでした。
たしかに理屈として理解できましたが、「さすがに壮大すぎる。漫画家さんの発想はすごいな」と思いながら、その日は帰ったんです。でも、1年ほど経ってもそれよりいいアイディアが全く浮かんでこなかった。たしかにそうだな、僕よりも『ドラゴン桜』の三田先生のアイディアのほうが絶対いいはずだ、と実行を決めました。
そして、意を決して「アジア甲子園、やります」と三田先生にお伝えに伺ったら、「え、本当にやるの?」と驚いていたんですが(笑)。
8ヶ月で19社のスポンサーを集めた
——そこから実現に向けて、具体的にどのようなことをしたのですか。
柴田 まず三田先生と2人で、メモをとりながら「甲子園ってどうやってできるんだろうね」というところから話しはじめました。どんな仕組みで、そんな組織や企業が関与して、どれくらいのお金がかかって、みたいなことを少しずつ紐解いていき、あとは関係者のみなさんにヒアリングしていきました。
ただ、話を聞いてみてやっぱり実感したのは、日本は野球人気のベースがあるから実現できてるのだということでした。そもそも野球人気がない国で甲子園を開催するのは、けっきょくのところ“やってみないとわからない”ということです。でも、とにかく動くしかないと思って、たくさんの方々に相談して回っていました。
そして、「甲子園」という名称を使うために、各所に挨拶回りも行いました。日本の野球団体って複雑なんですよ。プロとアマチュアで分かれているし、アマチュアの中にも複数の団体があります。NB.ACADEMYの理事として参画いただいている立花陽三さんや、学生野球時代にお世話になった恩師からアドバイスをいただきながら、各所への挨拶回りを約1年かけて行いました。
それから、スポンサー集めです。アジアに甲子園を広める、という意義を僕が直接出向いて説明していきました。まったくの0からはじめて、8ヶ月ほどで19社から3500万円ほど、キャッシュ以外も合わせると5000万円ほどの支援をいただくことができました。




