アクセンチュアではPCを触りながら涙が出てくることも
——アクセンチュアではどのような業務を経験したのですか。
柴田 最初に配属されたのが官公庁の部署でした。マイナンバー制度の導入にともなう案内や、手続きの変更を円滑にするための仕事ですね。2年目からは製造・物流のITコンサルティングです。受注、レジ、POSで集まるデータを分析して、全体のシステム改善や見直しをはかる、という内容です。その業務プロセスの改善を、いろいろな企業と仕事するうえで学びました。ここでとにかくたくさんの数をこなし、さまざまな事例を経験したことが、後の起業に大きく生かされました。
——野球界からコンサルティング業界に移籍する上で、ギャップを感じたことはありませんでしたか。
柴田 それはあります。最初は「なにこれ?」としかいいようがないですよね(笑)。社内外では専門用語が飛び交っていますし、僕は名刺交換の経験すらなく、資料作成や議事録をまとめるのも大変でした。野球選手の間はなんだかんだいっても、すごい、うまいと言われてきました。もちろんうまくいかない時期はありましたが、「当たり前のレベルに達してない」という状況は、野球ではなかったです。入社時は病気もよくなってきており、「体力があれば、根性で乗り切ってやる」と思っていましたが、身体は起きていても頭や技術、コンサルとしての感性がまったくついてこないんです。パソコンの前で身動きが取れなくなったり、お客さんとのミーティングで足が震えたりと、忙しさだけではなく、自分の情けなさや恐怖に追われる日々で、パソコンを触りながら涙が出てくることもありました。とにかく必死でしたね。
3年半勤め、独立して「アジア甲子園」開催へ
——それでも3年半しっかり勤め、実力をつけて起業するに至りました。
柴田 2019年にNo border株式会社を創業し、アクセンチュア時代の経験を生かしてITコンサルティングの仕事をしています。同時に、フィリピンで野球アカデミーの運営も行っていたのですが、こちらはコロナ禍で2020年に断念せざるを得なくなりました。
その後、やはり野球に関与する仕事がしたいと考えていたなかで「アジア甲子園」を開催しようと思い立ち、2022年に一般社団法人NB.ACADEMYを立ち上げました。



