巨人とのオープン戦にたまたま清武GMが
——そこから巨人に育成3位で投手として入団しています。どのような経緯があったのですか。
柴田 巨人入団は幸運でした。まずイップスはいろいろな練習メニューや、投げ方を少しサイド気味にするなど工夫をして、ある程度のコントロールがつくようになってきていました。
それで、4年の夏に僕と阿部寿樹の進路が決まっていなかったので、社会人野球のセレクションに参加したんです。結果、阿部は受かり、僕は落ちてしまって。その直後に明治大と巨人二軍のオープン戦があったんですね。普通だったらその試合に僕は投げていなかったはずなのですが、進路が決まっていなかったことから、監督が投げる機会を与えてくださったんだと思います。プロ相手の試合なので、活躍すればどこかが目をつけてくれるかもしれない、ということで。その試合で、僕は3回をパーフェクトに抑える投球ができたんです。ちょうど現地に当時GMの清武英利さんが視察にいらしていて、急遽指名候補に名前があがったと聞きました。その試合がなければ指名はなかったと思います。
山本昌と1ヶ月一緒に生活を送った
——巨人では3年間プレーされました。お世話になった人や、思い出に残っていることはありますか。
柴田 もちろんたくさんの方々にお世話になりましたが、特に3名います。1人目は山本昌さん。
——山本昌さん? 中日ですよね。
柴田 そうなんです。巨人の1年目で僕のイップスがまた悪化してしまって、巨人の先輩とお話しするのも気が引けるくらいの状態になってしまっていたんです。オフの自主トレで変わらなきゃと思って、鳥取のワールドウィングという施設でトレーニングをしました。その時に山本昌さん、岩瀬仁紀さん、山井大介さん、吉見一起さんという中日投手陣のそうそうたるメンバーがそこにいらっしゃったので、勇気を出して「一緒に練習させてください」と言ったんです。そしたら快く混ぜてもらえて、1ヶ月ほど一緒に生活を送りました。山本さんには僕のイップスの症状を見てもらい、たくさんのアドバイスをいただきました。




