「この人も裏切るんじゃないかって、何かと相手の気持ちを疑ってしまっていました。反面、正義感が強すぎるくらいに強くて、歩き煙草をしている人を見ると見境いなく注意するような、無鉄砲なところがありました」

21歳でアパレル販売員として働きはじめ、1年半のイギリスへの語学留学を挟んで、アパレルメーカーの営業企画、輸入靴代理店、環境に配慮されたライフスタイルを提案する会社、北欧雑貨輸入代理店の営業、33歳で独立する。フリーランスでPR・営業企画の仕事を始めた。視力を失ったのはその3年後だ。

苦しむ自分と、もう一人の自分が対話

だが、悪いことばかりではなかった。石井さんを救った習慣もある。太平洋を望む千葉県館山市で海と親しんで育ったことは、石井さんに内なる感受性を育てていた。

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今この瞬間に意識を向け、ありのままを受け入れる「マインドフルネス」への関心からセラピストの活動に携わった経験もある。「見えない」という絶望の底で、石井さんが徹底して自身の過去からの記憶と向き合うことができたひとつには、マインドフルネス思考があったという。

そしてもうひとつ、「日記の習慣」が石井さんを支えた。

「中学ぐらいからずっと日記を書いていました。日記を書くことで自分を対象化して見ることができるようになっていたと思います。だから、自分の過去を原因づけて苦しい最中にも、過去の自分を掘り下げる自分をもう一人の自分が冷静に見ていて、自分ともう一人の自分が頭の中で対話してました。それがよかったんじゃないかなと思います」

「かわいそう」という友の言葉に癒やされた

「支えてくれたお友達のおかげです」

と、立て直しを助けたもうひとつの要因を朋美さんが教えてくれた。

SNSなどの一切の連絡手段を断たれた石井さんに代わって、朋美さんが石井さんのSNSアカウントに病気の報告を書き込んだ。すると数百件の労りや励ましのコメントが書き込まれ、石井さんを感激させる。