石井さんの35日間はそこから始まる。病棟で待っていたのは、見えていた頃には見えなかった人たちとの出会いだった。
「同じ病室で過ごした患者さんたちです。全員、僕より年上のおじさんたちでした。おしゃれでもなく、どちらかといえばカッコ悪い、どこにでもいるふつうの人たちで、目が見えていた頃の僕だったらおよそ関心を持たなかった。でも、あの人たちと出会ったおかげで、僕は気づくことができたんです」
他人を見た目で判断できなくなった結果
目が見えていた頃の石井さんは、斜に構え、人を見た目で判断していたという。だが、見えなくなると、センスが洗練されているかとか、上等の服を着ているかといった判断材料はない。
否応なく「見た目で判断」というフィルターを手放した。
すると、それぞれに困難な病と闘っているその人たちの何気ないあたたかさや思いやりが、石井さんの心に沁みわたっていく。そして体の芯から感謝がわいてきた。
「このおじさんたちとの関わりを通して、人を外見で判断することでほんとうの姿に近づくのを遠回りしていたのが、ショートカットで行けるようになりました」
人を見た目で判断しない、それは他者に心を開くネジを緩めること。すると今度は、自分自身と対話することになった。
この難病は自分に罰を与えるものなのか?
「いちばんに考えたのが、子どもの頃からの性格についてでした。多発性硬化症は自己免疫疾患で、自分の免疫が自分の細胞を攻撃するというものです。自分が過去に悪いことをしたから、あのときの罰として自分で自分を攻撃してしまう病気になったんじゃないかと考えました。
子どもの頃に抱いた、勉強のできる兄への悔しい感情や、親に対する怒りの感情を思い出しました。そんな感情を持ってしまったのがいけなかったんじゃないかと、マイナスの記憶と激しい後悔で、自分を責める気持ちがぐるぐると沸き起こりました」
たとえば、と石井さんは子ども時代について話してくれた。学校がきらいで不登校だったのに生徒会長に選ばれ、悪い子集団に悪知恵を授けるような、複雑な少年期。一緒に遊んでいたグループのひとりから陰口を広められて孤立した思春期の苦い思い出。心に負った傷は大人になった石井さんに、他者を信じられなくさせた。