——大人の懐に入るのが上手だったのですね。
れいあさん 隣のアパートに住んでいたおばあさんとその娘さんとお友達になって、1人で遊びに行って一緒に遊んでもらっていた記憶もあります。
母は仕事で忙しいし、シッターさんとずっと2人でいるのも飽きちゃうので、お隣をよく訪問して親戚の子みたいにかわいがってもらっていました。
——近くにはいるけれど、美幸さんはずっと忙しくされていたんですね。
れいあさん いまほどではないと思いますが、当時からずっと忙しそうでした。でも後から考えてみると、できるだけ時間を作ろうとしてくれていたようで、ディズニーランドに連れて行ってくれた日のことはよく覚えています。
あとは、毎年の夏休みには母とプールによく行きました。私は全然泳げないんですけど、母が背中に乗せて平泳ぎをしてくれるんです。母は泳ぎが得意なので、泳ぎを教わったりもしました。顔が真っ黒になるくらい、よく遊んだ思い出があります。
美幸さんの教育方針は「厳しかったと思います」
——美幸さんと普段あまり一緒にいられない寂しさは感じませんでしたか。
れいあさん 3階建ての住居ビルの1階が母のアパレルの店舗で、2階が自宅で近くにはいたので、寂しいというのはあまりなかったです。
学校から帰ると、まずは母がいる1階のお店に顔を出してから、2階の自宅に上がっていました。中学受験の時には、週4日の塾に必ずお迎えに来てくれていました。
——教育方針はやはり厳しかったんですか?
れいあさん 厳しかったと思います。勉強しなさいと強く言われた記憶はないんですが、小学生のころから色々な習い事をしていました。
また、お友達の家に遊びに行く際には、母が必ず手土産を持たせてくれて、そういうことはきちんとするように言われていましたね。




