今年3月にNHKを退社し、フリーアナウンサーとして活躍中の中川安奈さん(31)。フィンランド、プエルトリコで育ち、英語・スペイン語を習得する中、CNNの女性キャスターに憧れたことがメディアを目指すきっかけとなった。
帰国後は慶應義塾大学でジャーナリズムの勉強をし、「小さな声を届けることがメディアの使命」と思うようになったという。
そんな中川さんに、異国で暮らした中で感じた壁や、帰国子女の生きづらさ、またフリーアナウンサーになってからの心境などを聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)
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3歳から6歳までフィンランドにいて、10歳から14歳まではプエルトリコで過ごした
――3月末にNHKを退社して4ヶ月が経ちました(取材は7月末)。フリーになった今の心境は?
中川安奈さん(以降、中川) すごく不安みたいなことはなくて、刺激があって楽しいです。でもまだ数ヶ月しか経ってないので、フリーの大変さをリアルに味わっていないだけかもしれませんが(笑)。
――中川さんは幼少期、海外で生活されていたそうですね。
中川 3歳から6歳までフィンランドにいて、10歳から14歳まではプエルトリコで過ごしました。
父が転勤の多い仕事で、私が生まれる前も、父と母は海外に住んでいた時期がありました。
「時間がわからなくなっていた」白夜と極夜があるフィンランド時代の記憶
――3歳から3年間過ごしたフィンランド時代で記憶に残っていることはありますか。
中川 寒かったという記憶と(笑)、あとは白夜と極夜ですね。夏はずっと明るいし、冬は本当に日が昇ってる時間が短いので、真っ暗な中で過ごすことが多くて。だから母親にいつも、「これって何ごはん?」って確認して。おやつを食べてても外は真っ暗だから、時間がわからなくなっていたんだと思います。
ずっと後のことになりますが、NHKに入って秋田放送局に赴任した時、ふと、秋田の山奥で見た雪景色にどこか懐かしさを感じたんです。今思えば、あの風景が、子どもの頃に見たフィンランドの雪景色とどこか重なる部分があったのかもしれません。
――物心ついた時から英語と日本語がそばにある環境だった?
中川 街ではフィンランド語が話されていましたが、私はインターナショナルスクールに通っていたので、友だちや先生とは英語で会話していました。
その経験があったので、今ネイティブに近い英語を話すことができているんだと思います。

