「絶対本当の自分じゃなくない? キモいよ」同級生の一言で肩の力が抜けたワケ

――「あなたらしく」に影響を受けながらも、なかなか中川さんらしさを発揮できなかったと。

中川 プエルトリコではむしろ日本人であることを消すことに必死で、のり弁を持って行くと「何、その黒いやつ?」などと言われて嫌だったので、母親に海苔を入れるのをやめてもらったり。「毎日お寿司食べてるんでしょ」とか言われるのもうんざりで、「食べてないよ、いつもパスタ食べてるし」って答えたり。もちろん白いごはんも食べてましたが(笑)。

 お絵かきも大好きだったんですけど、「日本=漫画・アニメ」の印象が強かったから、“日本人”っぽさを払拭するために、プエルトリコでは絵もあまり描かなくなりました。

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プエルトリコ時代の中川安奈さん(写真=本人提供)

――「自分らしさ」に迷う中で、転機は?

中川 14歳で日本に帰国して、プエルトリコの「盛り上がってる~?」みたいなノリのままいったら全然受け入れられなくて(笑)。その反動で、当時私の周りでモテていた、いわゆる優等生系というか、真面目でおとなしい感じの万人受けしそうな方向にシフトしたんです。

 でもその頃、体育の時間に体育会系というかちょっとパワフルで怖い感じの女の子とペアになることがあって。その子から「それ、絶対本当の自分じゃなくない? キモいよ」って言われてしまって。

――図星をつかれた?

中川 その子も実は帰国子女だったんですけど、私のぎこちない擬態にピンときたんでしょうね(笑)。その一言でふっと肩の力が抜けて、もう無理して頑張らなくてもいいかな、と思えるようになったところはありますね。

高校時代の中川安奈さん(中川安奈さんのInstagramより)

「人種差別を感じる経験をしたことは、自分の中では影響があった」ヘイトスピーチの取材を通して感じたこと

――その後、慶應義塾湘南藤沢高等部を卒業して、慶應義塾大学法学部政治学科に進まれます。

中川 CNNの女性キャスターを見てから憧れていたこともあって、メディアを専攻できる学科で学びました。

 そこに「メディア・コミュニケーション研究所」という私の理想そのもののゼミがあって。ジャーナリズムの道を志すならやっぱり現場を見に行かなきゃと、積極的に動くようになり、3.11のボランティアに参加したり、ヘイトスピーチの現場を取材したりしました。

――ヘイトスピーチの取材をしたきっかけは。

中川 ちょうどその頃、新大久保や大阪で在特会(在日特権を許さない市民の会)による激しいヘイトスピーチが繰り返されていたことが気になっていて。各報道機関による伝え方の違いにも興味を持ち、そうした点を自分なりに調べていたんです。

――かつて中川さんがプエルトリコにいた時、「チーナ」(スペイン語で「中国人女性」という意味)と指さされたことがあるということでしたが、ご自身の経験もヘイトスピーチの取材に関係している?

中川 子どもながらに、人種差別を感じる経験をしたことは、やっぱり自分の中では影響があったと思います。私の場合、プエルトリコでは見た目は違いましたけれど、実際接してみると「そんなに違わないな」と感じることが多くて。だからこそ「私の何がいけないの?」と納得できない気持ちがあったんです。

 

 それもあって、朝鮮学校へ取材に行ったり、ヘイトスピーチが行われている地域住民に話を聞いたりしました。「怖くてもう公園では子どもを遊ばせられない」と話してくれた在日の方の声は、今でも忘れられません。取材内容は卒業論文にもまとめました。

 就職活動ではNHKを第一志望にしていたのですが、面接では「NHKのような大きなメディアだからこそ、小さな声をすくい上げて、誰もが生きやすい環境づくりにつなげていくべきではないか」と、自分の思いを伝えました。