先進技術は常にその利用についての倫理的な問題を抱える
いまでは、シンギュラリティだ感覚移植だと、人間の感性を機械学習させてAIに人間ぽい振る舞いをさせようというプロジェクトが乱立するようになってきました。もちろん、学問というのは究極には「我々は誰なのか」とか「何処から来て、何処へ行くのか」など哲学的な問題を解決するために体系化された知識なんだよという話ですから、バベルの塔のようなスーパーコンピュータが人間の知性や感情という「神の領域」に向けて高く何かを積み上げていけば、神に似せて作られた人間を超えていくのではないか、と考えるのは何も不思議なことではありません。
しかしながら、先進技術というのは常にその利用についての倫理的な問題を孕みますし、危険性について取り沙汰されることも少なくないわけです。例えば、遺伝子組み換え技術は社会における安定した食糧生産に多大な貢献をしましたが、「遺伝子を組み換える」ことに対して心理的な抵抗を感じる人は少なくありません。まあ、自然に作られたもの以外は口に入れたくないという気持ちは分かります。長期的な影響も分からないしね。
過度なAIに対する恐怖心が跋扈している
同様に、福島第一原発での放射能汚染についていまだに長期的な悪影響を心配する人もいるし、HPVワクチンの有用性について使うことによる利益が高いのに副作用の可能性を怖れて接種を控えるムーブメントが起きたりもしました。食品添加物も海洋資源保護も、技術や状況改善に関わるものは利益とリスク、短期的な影響と長期的な問題とを見比べて善悪判断するべきものです。
この流れでいけば、人工知能も間違いなく「人間を超え、人間と敵対し、人間を脅かすものなのではないか」という話にならざるを得ません。むつかしい判断は人工知能に任せ、人間はその指示に従ううちに、人工知能に支配された人間社会ができてしまった、というような映画『マトリックス』の世界観をはじめとしたSF小説が作る人間と機械の対立です。
とりわけ、人間と同等以上のことをやり遂げるAIに対する警戒感は、先日亡くなられた宇宙物理学者のホーキング博士も警鐘を鳴らすほどに一般化し、過度なAIに対する恐怖心が跋扈しているように思うんですよね。