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2018/07/19

そもそも道具というものが運用される条件とは

 ただ、人間とAIの関係は、ある意味で人間と道具の関わりの延長線上であって、人間を超える道具があってはならないという議論で言うならば「人間が手で切るよりも上手に切るハサミという道具」とか「人間が手で洗うよりもはるかに綺麗に洗える洗濯機という機械」などとそう変わらないわけです。ハサミはハサミさえあれば人間が手で切るよりも上手に切れるようになる機能を提供する道具です。一方、洗濯機は洗濯機単体あればよいというものではなく、発電所が電気を起こし、その電気が送電されてきていて、また綺麗な上水道が整備されているので洗濯機を買って据え付ければ人間を超える能力が与えられる、というものです。つまり、前者は単なる機能なのに対し、後者は「人間を超える道具を運用するために、人間社会が適切に運営されていなければ人間を超えられない」ということでもあります。

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 そうなると、人間を超えるAIを作って運用するというのは、人間社会が平和で安全で豊富な電力があって、政治が安定し、法律が整備され、イノベーションが阻害されず、経済状況が良く、AIを安心して運用できる環境にない限り人間を超えることはないのだ、ということを意味します。電力や安全やその他いろんな要素がひとつ欠けても、人間を超える優れた機能を持つAIが稼働することはないのだろう、と思うわけです。優秀なAIが稼働できる条件は、まさにAIの能力を実現できるだけの複雑で安定した、安全で安心な社会が何よりも第一条件になるということでもあります。

問題が複雑すぎると「こうあるべき」論が発生する

 そして、人間を超えるAIとは何なのかを考えるとき、もはやハサミや洗濯機のように「道具や機能は見れば中身が分かる」ほど単純な世界ではなくなっています。いまでさえ、ワクチンが効く機序や、原子力発電がどのような知見の積み重ねで稼働しているのかを一般の人や市民が理解するのはなかなか困難です。普通に暮らしている人間がAIについて詳しく理解し説明できないぐらい高度で複雑なものになっていること、それが説明されて理解できる人間はそう多くないだろうということは、理解しておく必要があると思うのです。いわゆる「市民社会」は人間が幸せに暮らしていくうえで正義を実現する機能として重要なのは間違いありませんが、放射能であれ反ワクチンであれ「科学的に正しいと分かっていることに対して理解を示さず反対する人たち」になってしまう危険性もあります。彼らが悪いのではなく、問題が複雑すぎるので、物事に対する理解よりも「こうであるべき」という感情が優先するのです。

 車の事故に対して、実際には車のエンジンの仕組みや搭載されている電子機器についての知識はなくとも、車というモノに対して「危険運転をしそうな奴は試験をして免許を取り上げろ」とか「クルマは人間社会において必要悪」とか「化石燃料を減らすために車には極力乗るな」などという議論は容易に起きます。でも、現実には交通に関する法制度があり、車の利用で便利に暮らしている人がおり、むしろ車がなければ生活が成り立たない人がいて、そういう地域にも人がたくさん住んでいるなかで、たまには変わった運転者がおり、不注意で事故が起こり、不幸な犠牲者が出ることを甘受しなければならない状況だということになります。

技術革新側が「善」を示し続けることが求められているんだろうなあ

 そうなると、原子力発電所も遺伝子組み換えも高度先進医療もワクチンもネット広告事業も、専門家がどれだけの倫理観をもって「市民にはパッと見ても分からない専門性によって高い生産性や機能を実現している分野」に携わっているのか、が問われるわけであります。本来、そういう問題を見つけて是正を働きかけるのが当局やマスコミの仕事なわけですが、倫理的な問題を見つけて是正することはコストがかかります。身の危険を感じる人も出るでしょうし、不当に上げてきた利益を奪われまいと抵抗する勢力も出るでしょう。

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 だからこそ、AIを触る側も倫理観を保ち、私たちはこういう善の善たる活動で技術を革新しているんですよと示し続けることが求められているんだろうなあと考えるのです。だって、知らない分野まですべて知識を持つことなんて、この知識社会、情報資本主義の世界では無理ですから。

 むしろ、日本に足りないのはイノベーションを促進したり、倫理観のない仕組みを排除したりしやすいようにする「哲学」なんじゃないかと思います。そもそも論として、俺たちの時代も暑い中で勉強していたんだから学校にクーラーを入れるなんてとんでもないといって、地方の公立校では酷暑の中もクーラーが稼働してないとか問題外だと思うんですよね。昔ながらの生活がいいのであれば、洗濯機など使わずに川で洗濯板使って手で服を洗えばいいんじゃないかと思います。

 もっとこう「日本をより良くするために、きちんと道具を使い、正しく安きに流れる」ようなムーブメントを起こせたりしないもんでしょうか。マジで。