今から80年前の第二次世界大戦末期、県民の4人に1人が命を落としたの「沖縄戦」――。そこでは、兵士だけでなく「ひめゆり学徒」として多くの沖縄の女子学生たちも動員された。彼女たちはまだ10代の若さで、戦争の中で何を見たのか?
テレビディレクターの渡辺考氏がひめゆり学徒の一人、山内祐子(やまうち・さちこ)さんにインタビューした新刊『ひめゆり学徒だった山内祐子さんが沖縄の高校生に伝えたこと』(講談社)より、彼女たちが命がけで過ごした日々をお届けする。(全3回の2回目/続きを読む)
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水をくれ
山内さんは、一人の兵士のことが忘れられません。その人は、重い傷を負って、死にかけていました。
彼は、弱々しい声で山内さんにこうせがみました。
「学生さん、水をください。死ぬ前においしい水を飲んで死にたい……」
しかし、山内さんは、弱った人に水を与えるとショックで命を失う危険があると衛生兵から教わっていました。
「兵隊さん、水を飲むと傷に悪いのでがまんしてください」
山内さんが、そう言うと、兵隊は、「それでもよいから水をくれ」と言いかえしました。コップに一杯分の水があったので、山内さんは、それを兵隊に飲ませました。
兵隊は「おいしい、おいしい」と言いながら水を飲んだそうです。しばらくして、兵隊は、両手を広げ、「お母さん……おむかえに来てくれたの」と言って両手で誰かにしがみつくようにしたかと思うと、息絶えてしまいました。
山内さんは、高校生たちの目を見まわしました。
「水を飲んで満足してね、私のことをお母さんと思ったんでしょうね。お母さん、お母さんと言いながらしがみつくようにして息をひきとっていったんです」
山内さんは大きく息を吸い、こうつぶやきました。
「だけどね、涙は出ませんでした。もう慣れっこだった」
でもね、と言ってこう続けました。
「私の胸の中に、いつまでもあの情景、あのときのことが残っています。兵士たちは、母を求めたり、愛する妻子を思い出しながら死んでいったんだろうなあと思うと、心が重くなります」




