第159回芥川賞が高橋弘希さんの『送り火』(『文學界』5月号掲載)に決定しました。1979年生まれにして、これまで『指の骨』『朝顔の日』など戦争を題材にした小説にも取り組んできた高橋さん。その思いを伺った「文春オンライン」2017年8月のインタビュー記事をあらためてどうぞ。

大学生のグアム旅行の話を書くつもりが、戦争小説になった

高橋弘希さん

――ちょうどこの8月に『指の骨』が文庫化されましたが、2014年の新潮新人賞を受賞したこの作品はニューギニア戦線の野戦病院を舞台にした精緻な作品で、「戦争を知らない世代による新たな戦争文学」が突如出現したと話題となりました。でも、もともとはニューギニアを舞台にするわけでも、当時のことを書くわけでもなかったそうですね。

高橋 はじめは大学生がグアムに卒業旅行に行く話を書いていたんです。完全に現代の話として。それで、大学生がグアムに慰霊の旅に来ている爺さんに会って話している場面を書いていたら、どうも爺さんの話していることのほうが面白いぞ、と筆がのってきて。それで、書き直すことにして、結局は太平洋戦争中のニューギニア、負傷した一等兵が臨時野戦病院に収容されて、そこで体験したものを一人称で書くという小説にしたんです。

――病舎の屋根を直しに行った兵が屋根から落ちて死んでいた、という淡々とした描写の一方で、ジャングルの葉っぱの肉厚さや葉脈の色、食べると痙攣する「電気芋」を掘り出したときの様子など、風景が事細かに描かれているのが印象的でした。どうしてここまで微細に書けたんでしょうか。

ADVERTISEMENT

高橋 自然の他にも、たとえば三八式歩兵銃はどんな型をしていたのか、弾はどんな感じだったかなんて想像で書けないですから、もちろん資料を参考にしました。できるだけ細かく書いたのは本当っぽく、見てきたかのように書こうと思ったからですね。特にこの作品は、主人公の目で見たものを書いたので。

 

――この作品で新潮新人賞を受賞されたとき、選考委員の中村文則さんが「観察者」「部外者の悲しみ」がある作品だ、と評されていました。

高橋 確かに、なるほどそうだなあと自分でも思ったくらい、ありがたい言葉でした(笑)。先輩作家では、太平洋戦争を舞台にした『神器』も書かれている奥泉光さんにも何かのパーティで一度、お話を伺ったことがあります。確か、もっと突き詰めて書いてみたら、と言われた覚えがあります。