「亡くなった実感というのはあまり感じられなかったんだよ。ケガで欠場してたから、しばらく会ってなかったこともあって、まだどっかで生きてるような気もしてさ」

 プロレスラー・橋本真也(享年40)の死から20年……。かつてライバルだった男は「橋本の喪失」をどう振り返るのか? 『証言 橋本真也 小川直也、佐山聡、蝶野正洋らが語る破壊王と「1・4事変」の真相』(宝島社)より、かつて「引退」をかけて戦ったこともあるライバル・小川直也氏の章を一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

ライバルだった小川直也氏 ©文藝春秋

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プロレス界にとってなくてはならない人

 プロレス界の盟友が、あまりにも突然亡くなってしまった時の気持ちを、小川はこう振り返る。

「もちろん遺体に対面した時には涙が出ましたけど、死因の脳幹出血というのは、トイレで踏ん張ってたらプツンといったみたいなんだよ。それで同じ部屋にいた女性に橋本さんは『救急車!』って叫んで、そのままパタンと一瞬で亡くなったって聞いた。そういう意味では、亡くなった実感というのはあまり感じられなかったんだよ。ケガで欠場してたから、しばらく会ってなかったこともあって、まだどっかで生きてるような気もしてさ。

 あと、橋本さんが亡くなったということを受け入れた時、『プロレスはどうなっちゃうんだ?』とは思ったよね。それは当時の記者にも『プロレスはこれから大変なことになる』って話した記憶がある。実際、その後はハッスルもなくなってしまったし、いろんな団体が連鎖反応のようにダメになっていったよね。だから橋本真也っていうのは、プロレス界にとってなくてはならない人だったんだと思うよ。

 もちろん、それは俺自身にとっても言えること。俺にとって橋本さんはプロレス界の恩人であるし、大事な仕事のパートナー。橋本さんがいなかったら今の俺はないし、その恩を返したいという思いは強かったね」

 橋本が亡くなった2005年の大晦日、小川は「PRIDE男祭り2005」に参戦する。柔道時代から因縁がある吉田秀彦と対戦したが、入場の際、小川は橋本と同じ真っ白いハチマキを頭に締め、橋本のテーマ曲「爆勝宣言」に乗ってリングへ向かった。すると観客からは、PRIDEの会場でありながら、大「ハシモト」コールが巻き起こった。

 これこそが小川直也による、亡き盟友・橋本真也へのプロレスラーとしての供養だった。

 インタビューの最後、橋本とのいちばんの思い出を聞くと、小川からはこんな答えが返ってきた。